柳は緑 花は紅 (10)


執務室で、ひとり絵本を読んでいた悟空は、くん、とまるで小動物のように鼻をひくつかせた。

三蔵はさきほど呼び出されて執務室から出て行った。
それから少ししてから小坊主がやってきて、悟空しかいないことに驚いた顔をしつつ出来上がっていた書類を手に持つと、ちょっと迷った末に悟空に問いかけてきた。
窓を開けても良いか、と。

いつもこの時間、空気の入れ替えのため、少しの間窓を開けるのが三蔵の日課だという。
なにも考えずに悟空は「いいよ」というと、一緒になって執務室の窓を開けていった。

冷たい空気にふるりと震えたが、空気自体は清々しくて、三蔵が帰ってくる頃にはきっと部屋の中の空気も綺麗になっていると思うとなんだか嬉しくなった。
そしてまた絵本に戻ったのだが。

悟空はもういちど、鼻をひくつかせる。
なんだろ、と思う。
なんだかいつもとちょっと違うような感じがする。
空気のなかになにかを感じる。
まだまだ寒い。
のに。

「あった……か……い?」

言葉にすれば、そのそばから『そんなことはない』と思ってしまうけど、でも。
どことなく柔らかいものを感じる。
それはとても微かなものだけど。

悟空は執務室の窓から空を見上げ、少し考えるような仕草をして立ち上がると、窓を乗り越えて外に出る。それから一歩一歩確かめるようにゆっくりと、寺院の敷地を抜けていった。
やがてしばらくすると、寺院の裏山にとたどり着いた。

寒くなってから、もう久しく裏山には足を踏み入れていない。
悟空は立ち止まって、冬枯れの木々を見上げた。
いまはまだここに入ろうという気にはなれない。
裏山から寺院までの道のりは結構遠い。
意識しないところで悟空の行動にストップがかかる。三蔵のもとに逃げ帰るのに遠すぎるから、と。

悟空は山の裾をぐるりと回って、南の斜面の方に向かう。
そちらの方から微かに暖かな気配がしていた。
その気配に呼ばれているような、そんな感じがする。
枯れた下草の間を通り抜け、そして。

「あ……」

日のあたる斜面に、群生する梅の木を見つけた。
ちらりちらりと白いものが見えるが、大半が固い蕾で、まだ咲いてはいないようだ。
もとより道などなかったのだが、そこに行くのはさらにたいへんそうだ。ひび割れでもあるのか、一度深く地面が落ち込んでいる。

もっと近くで見てみたい気もするけど、でもここでも十分。
だって、蕾をつけているということは。

悟空はほぅと大きく息をついた。肩から力が抜ける。

――春はもうすぐ。

ふわり、と悟空の顔に笑みが浮んだ。