柳は緑 花は紅 (18)


目の前に積まれていた書類の最後の一枚を処理し、三蔵は短く息をついた。

また書類は運ばれてくるだろうが、とりあえずは一区切りだ。
懐から煙草を取り出し、ふと窓の外にと目をやる。

と。
淡い紅の色が目に入った。


桜。


まだ咲いてはいない。

だが、つぼみはもう膨らんで、いまにも綻びそうになっているらしく。
木全体が、淡い紅の色に染まっているようだった。

誘われるように、火をつけていない煙草を持ったまま、三蔵は窓にと歩み寄った。

暖かな春の日差しが窓を通して降り注いでくる。
季節の変わり目でまだまだ油断はできないが、もう雪が降ることはあるまい。
そんなことを思い、自分が連れて来た子供のことが頭に浮かんできた。

そういえば。
季節の花が咲くと、なによりもだれよりも早く、悟空が届けにきていたのだが。

寺院の桜がもう綻びかけているのだ。
どこか別の、もっと日当たりの良い場所ではもう桜は咲いているのではないだろうか。

そう考え、三蔵は眉根を寄せた。

確かにここ2、3日、忙しくて悟空とまともに接してはいない。
だが、夕飯は一緒に取るようにしていたし、特に変わったところもなかったような気がするが――。


三蔵は不機嫌そうな顔のまま、窓辺を離れると執務室を後にした。







寺院の庭にある一際大きな桜の木の根元に、足を投げ出すようにして悟空は座っていた。

視線は上を向いて、空を覆うような桜の枝を眺めているようだが。
その目にはなにも映ってはいないようだった。

「悟空」

いつもであれば、声をかける前に気づくはずなのに。
声をかけてからしばらくして、ようやくその顔が三蔵の方を向いた。

「あ……れ?」

不思議そうな表情を浮かべる。

「え、と。三蔵?」

なんだか夢の中にいるような反応に。

スパーン。

わけもなく腹が立ち、三蔵はハリセンを振り下ろした。

「いってぇ! なにすんだよ、いきなりっ!」

途端に悟空が噛みついてくる。

「ぼーっとしてんじゃねぇ」
「してねぇよ」

いつもの通り、むぅっと頬を膨らませ――。

だが。
その視線は下にと落ちる。

「ただ、なんか」

そろそろと手が伸びてきて、着物の袂を掴まれた。

「なんか、ちょっとざわざわする。なんだろ。なんか忘れている気がするんだ。――大切ものを」

普段の小猿らしくなくなにやら深刻に考え込むような様子に。

「……猿頭だからな」

考えてもそんな言葉しか返せない。

岩牢に閉じ込められる前の記憶を、悟空は持たないといっていた。
たいへんな罪を犯した、と三仏神はいっていたが。
だぶんそれは真実の一面でしかないだろう。

過去に思いを馳せるとき、悟空はよくこんな表情を浮かべる。
もどかしげな、苦しげな。

が。

「む。なんだよ、それ」

三蔵の言葉に、気のせいか少し悟空の表情が和らぐ。
三蔵は悟空と並んで地面に腰をおろした。

「仕事は?」
「休憩中」
「いいのか?」
「少しくらい構わねぇだろ。花見の季節だ」

三蔵の視線の先には、今、ほころびたばかりのような桜の花。

「綺麗だね」

微かに悟空は笑みを浮かべ、そっと三蔵に寄り添った。