柳は緑 花は紅 (31)


日に日に大きくなる蕾を毎日楽しみに見ていた。
でも咲いたら、摘むのは大変そうだし、大きすぎて三蔵の机の上に置いたら邪魔にされそうだし、だから三蔵を連れて見にこようと思っていた。

だが、咲いてみたら――。

悟空は沼の淵にしゃがみ込み、いつまでもその花を見つめていた。





「なにしてんだ、てめぇは」

どのくらいそうしていただろう。
うえから声がかかった。

「ったく、いねぇと思ったらこんなところで」
「三蔵」

見上げると、額に怒りのマークを浮かべているような三蔵が後ろに立っていた。

「なにやってんだ、朝飯も食わねぇで」

今朝、三蔵が目を覚ますと、もう悟空の寝台は空っぽだった。

このところ朝早くに出かけているみたいだったが、出かけるときに起こされるわけでもなく、朝食時には戻ってきていて特に迷惑もかかっていなかったので放っておいたのだが。
今朝は朝食の時間になっても戻ってこなかった。

悟空にしては珍しいことだ。
しかも三蔵が声をかけているというのに、しゃがみ込んだままでその場を動こうともしない。

「いつまでもそうしてたいんなら、メシ、下げさせるぞ」

なんとなくむっとしてそういってみれば。

「うん……」

聞いているのかいないのか、生返事が返ってくる。
三蔵は、眉間に刻んだ皺を深くした。

「いらねぇんなら、ホントにさげるからな」

いささか大人げないと自覚しながらも三蔵はそういい、悟空を置いて戻ろうとするが。

「さんぞ」

小さな声で呼ばれて足を止めた。
ゆっくりと立ちあがってくる悟空に、法衣の袂を掴まれる。

「なんかこういうの、どっかで見たことがあるような気がする」

三蔵の方は見ずに、相変わらず花をみつめたままで、悟空がいう。
声に不安そうな響きをにじませながら。

「三蔵。三蔵は見たことない? こういうの」

悟空が指し示すのは、淡い桃色の花が咲き乱れる蓮池。

「こんなの、珍しいものでもねぇよ。蓮の花は、寺であればどこでも見れる」

蓮は仏教と縁が深い。
寺院に蓮池があるところなど、掃いて捨てるほどある。

「そうじゃなくて……」

今度は悟空の方が眉間に皺を寄せる。もどかしげに。

「ずっと前に見たことがあるような気がするんだ……。本当に、ずぅっと前に」

思い出せない、失くしてしまった記憶の彼方。
この花は確かに咲いていたと思うのに。
そう思うそばから記憶は零れ落ちていく。

悟空はぎゅっと三蔵の袖の袂を握りしめた。

と。
ぽんぽんと軽く頭を叩かれた。

「どこで見たのかは知らねぇが、いま咲いてここにあるんだから、それを綺麗だと思って見りゃあいいだろ」

三蔵の言葉に。
悟空の手から、するりと三蔵の法衣が抜け落ちた。

「そっか」

眉間の皺も取れる。

「俺、三蔵と一緒に見ようと思ってたんだ」

おずおずと悟空の手が三蔵の手に触れる。

溜息をつきそうな表情で、だが三蔵が手を握り返してやると、悟空はふわりと笑みを見せた。
もう不安気な様子はどこにもなかった。