柳は緑 花は紅 (38)


立秋も過ぎてだいぶたつというのに、朝からうだるような暑さのなか、三蔵は自室から執務室に向かっていた。

悟空が遊びに行ってしまったあとも自室でうだうだとしていたのだが、控えめに何度も何度も小坊主たちが呼びにくるので仕方なく重い腰をあげた。
のだが。

執務室の扉を開けた三蔵は、そこで足を止めた。

目に飛び込んでくるのは、書類の山。
積まれたその高さに。

くるりと背を向けて、三蔵は執務室から逃亡した。





どこからかはしゃぐ声が聞こえていた。

キラキラと、光が煌めくようなイメージを彷彿とさせるその声の主は、見なくてもわかった。
自然と足がそちらに向く。

「ご――」

声をかけようとして、三蔵の足がまた止まった。

そこにいたのは、予想通り悟空だった。
だから、驚くには値しないのだが――。

悟空は小坊主の仕事である水撒きを手伝っている……らしい。
らしい、というのは、笑いながら水を撒きちらし、そこら中を水浸しにしているからだ。

柄杓で掬った水を放り投げるように、空に飛ばしている。
当然、飛沫は自分にもかかり、悟空はびしょ濡れになっていた。

はしゃいで飛び回るたびに、悟空の髪から、手から、水滴がはじけ飛ぶ。
その姿は――。

「あ、さんぞーっ」

くるりと、踊るように体を回転させた悟空は、三蔵の姿を見つけて走り寄ってくる。
嬉しそうなその様子は、尻尾を振って近づいてくる仔犬のようなのだが。
三蔵は無言のままハリセンを取り出し、悟空の頭の上に落とした。

「あてっ」

悟空は頭を押さえる。

「もう。いっつも、いっつも、いきなり殴んなっていってるだろっ」
「その辺を水浸しにしといて、なにいってやがる。水を撒くのは、水溜まりを作んのとは違うんだぞ」
「だってぇ、綺麗なんだもん」

ぷぅ、と頬をふくらませて悟空はいう。

「水に光が反射して、キラキラって。三蔵みたいに綺麗だった!」

興奮して、目をキラキラさせていう姿は、子供そのもの。
――なのだが。

「とりあえず着替えて来い」

ふ、っと息をついて三蔵がいう。

「へ?」
「びしょ濡れだろうが。風邪をひく」
「大丈夫だよ。すぐ乾くもん」
「いいから、行って来い」

苛々とした感情を感じとったのか、悟空は不満そうに口を尖らせながらも、三蔵の横を抜けて私室の方に走っていく。
それを見送りながら、三蔵はもう一度短く息をついた。

どうしてだろう。
どうして、あんなものを――。

陽の光を浴びて、キラキラと輝くように見えたのは、悟空の方だった。

『綺麗だ』と無意識のうちに思った。
ただの、煩い子供なのに――。

「暑さのせいだな」

わざと声に出してから、三蔵は寺院のなかでは比較的涼しい本殿にと向かった。