柳は緑 花は紅 (40)


なんだろう、と思った。

なんだか、肌がピリピリとする。
悟空は読んでいた絵本から顔をあげて、辺りを見回した。

といって、目に見えるなにかがある、というわけではない。
それなのに、ピリピリとした緊張感が空気のなかに漂っているような気がする。

悪い人間とか妖怪とかが目の前にいて、いまにも襲いかかってきそうな。
そんなときの状況に似ている。

けど。
やっぱりそれとはちょっと違う。

なんだろ。
なにかが、近づいてくるような感じ。
なにか――とてつもなく大きなものが、こちらに向かってくるような。

くんくん、と悟空は空気の匂いを嗅ぎ。
それから絵本をパタンと閉じて、外にと向かった。







雲がもの凄い速さで流れて行く。
遠くの方に、染みのようにあった真っ黒な雲が、瞬く間に空いっぱいに広がって、みるみるうちに暗くなる。
音をたてて、吹き抜ける強い風。

それに逆らうように、悟空は地面をしっかりと踏みしめて立っていた。

木々がザワザワと音を立てる。
枝が千切れるのではないかというくらいに揺れている。

凶暴な、そんな風なのに。
吹く風を受けながら、なぜか笑いたいような、そんな気持ちになってくる。

わくわく――とは、また違った……でも、よく似た感じ。

来い。

念じるように思う。

来い。
そして、なにもかもを吹き飛ばしてしまえ。

人間の作ったものなど。
人間など。
取るに足らぬものなのだから――。

クスリと笑ったそのとき。

「……?」

ふわり、と背中が温かくなった。
自分の体の前に回る手と、それから目の端に映る金色の髪。

「さんぞ……?」
「……戻るぞ」

温もりが離れて行く気配に、慌てて振り返ると。

――綺麗。

厚い雲に陽が遮られた暗いなかであっても、輝きを失わない、その姿。

すっ、と手が伸びてきて、手首を掴まれた。
無言のまま、引っ張られるように歩き出す。

少し呆然として、なすがままに歩いていた悟空は、やがて。

「三蔵」

小さく呟くと、足を速めて三蔵の隣に並んだ。

とても嬉しそうな笑みが浮かぶ。
それは先程までの表情とはまったく違っていた。

というか。
先程まで思っていたことは、綺麗さっぱり、悟空の頭から消えていた。

そして三蔵と並んで、弾むような足取りで自室を目指す。
三蔵の目に浮かぶ微かな翳りには気付かずに。



(memo)
2009/09/01は二百十日です。