柳は緑 花は紅 (42)


コホン、とただ一度、咳をしただけだったのだが。

三蔵は忌々しげに執務室の扉に目をやった。
扉の向こうに、僧たちの気配がする。

外にだれがいようと、普段ならそれほど気にもならないのだが、こうあからさまに見張っているという気配がすると気が散ってしかたがない。
ちなみに窓の外にも気配はあり、いつになく厳重な監視の体制にうんざりとした気持ちにもなってくる。

これではかえって仕事の効率が下がるのではないだろうか。
三蔵は溜息をつき、書類を放り投げると扉へと向かった。

「三蔵さま、どちらへ?」

開けるとすぐに声をかけられる。

「書庫だ」
「書庫?」

訝しげな問いには答えずに、スタスタと廊下を進む。

「お待ちください。ご入り用なものがございましたら、私が持ってきますので……」
「30年前の大祭に関する資料だ。探せるか?」
「は……、いえ、あの……」
「自分で探した方が早そうだ」

三蔵はそう決めつけると、書庫へと向かう足を速める。
やがて辿りついた書庫の扉を開けると、まだついてこようとする僧の方を振り返った。

「後ろをちょろちょろされると気が散る。心配ならそこで見張っていればいいだろう。出入り口はここだけだ」

三蔵は答えも聞かずに、僧の目の前で扉を閉めた。

ふぅ、と溜息をつく。
それから書庫の奥に行くと、天井近くにある窓を見上げた。

「ったく、猿じゃあるまいし、なんで俺がこんなことをしなきゃなんねぇんだ」

ぼやきともとれる呟きをもらしながら三蔵は本棚にと手をかけた。

悟空が風邪をひいてから3日目。
そろそろ熱も下がって、治りかけてきたかという頃、喉に違和感を覚えて三蔵は執務室で咳をした。

それ1回限りの、そうたいしたことではなかったのだが、瞬く間に風邪が移っては大変、と悟空から引き離された。
もとから最高僧が手ずから看病している、というのに批判があったので、その反動だろう。
悟空は部屋を移されて、完全に切り離されてしまった。

悟空の風邪が治るまでだし、そんな行為を馬鹿らしい、と普段は放っておくところだが。
悟空の泣き声が聞こえてきた。

普段とは違う体の状態に不安に思っていたところに、三蔵が現れなくなってさらに不安が増したのだろう。

コワイ、と泣く声は、放ってはおけないほど切羽詰まったもので――。

三蔵は悟空が移された部屋の扉を開けた。

寝台しかない小さな部屋。
その寝台のうえで、悟空が身を起こした。

「さんぞっ」

飛び降りようとして、バランスを崩す体を受け止める。

「ったく、暴れてるんじゃねぇよ」

このとき、ほっとしたのはどちらだったのか。
三蔵は、いつもよりも体温の高い悟空の体を抱きしめた。