柳は緑 花は紅 (49)


「ったく」

いつの間にか振り出した雨のなかへ、舌打ちをして三蔵は足を踏み出した。
寺院の広い庭へと出る。

陽の暮れる前に戻ってきた悟空が再び外に飛び出してから、もうだいぶ時間が経っていた。
雨のせいもあって辺りは真っ暗で、植えられている庭木の影さえ近づいてみないとわからない。

そんななかでは、悟空の姿などわかるはずもないのだか、三蔵の足取りはしっかりとして、どこに悟空がいるのか見えているようだった。
やがて、それが真実だということは、三蔵の進む先にぼんやりと人の姿が見えてきたことで証明された。

「猿。いい加減にしろ。帰るぞ」
「やだっ」

影に向かって声をかけると、即座に答えが返ってきた。
三蔵の額に皺が刻まれる。

夕方、遊びから帰ってきた悟空がいつものようにまとわりついてきた。
いつものように泥だらけだったのでハリセンで殴り飛ばそうとしたところ、ふと、悟空の髪がバラけており、今朝結んでやった髪紐がなくなっているのに気が付いた。
それを指摘すると、悟空の顔からさっと血の気が引き、それから突然、悟空は外にと飛び出していった。
そのままいつまでたっても帰ってこないので、わざわざ迎えにきたのだが。

「諦めろ。そんなとこに落としたんだったら、みつかりっこねぇよ」

悟空がいるのは池と地面の境目といったところ。水を含んでぬかるんでおり、そんなところに落としたのならば、泥まみれになってもうわからないだろう。

「だいたい、そんなとこで遊んでるのも悪ぃんだろうが」
「だって、ポン太が」

ぐすっと、洟をすすり上げて悟空がいう。

「ここに落ちちゃって、びっくりしたのか大暴れして、それで、それで……」

悟空の言葉に三蔵はこめかみを押さえる。
察するに『ポン太』というのは野生のタヌキかなんかだろう。

「なんでもいいが、これ以上ここにいる気なら、メシ抜きにするぞ」
「別にいい」

伝家の宝刀を抜いたつもりだったが、あっさりと返される。

「別にいいじゃねぇよ」

三蔵は悟空の首根っこを掴んで、むりやり池のほとりから引きずり出した。

「やだ、やだっ、やだっ!」

ジタジタと悟空は暴れる。

「るせぇっ! また風邪でも引いたらどうする?! 余計な手間、かけさすんじゃねぇよ」

悟空はうっと言葉に詰まり。
それから。

「うわーん」

と、大声をあげて泣き始めた。
開けっぴろげの子供のような泣き方に、三蔵は呆気にとられる。
が、しばらくして溜息をついた。

「また同じものを買ってやる。それでいいだろ?」
「やだ。やだもん……。あれがいい。あれじゃなきゃ、やだ」
「あのな。失くしちまったもんは、しょーがねぇだろ。だいたいな、形あるものはいつか壊れるもんだ」
「でも、あれがいい」

しゃくりをあげながら、強情に言い張る悟空に、三蔵はむっとした表情を浮かべた。
付き合いきれない。
そう思い、突き放すような言葉を言おうとするが。

「あれは三蔵が初めてくれたもんだもん。あれじゃなきゃ、やだ」

ぐしぐしと泣きながら訴える悟空に、三蔵は言葉を飲み込んだ。

大切なもの。
絶対に失くしたくないもの。

それをもとめる姿は己の――師の形見を追い求める姿と重なった。
三蔵は、ふっと短く息をついた。

「最初であっても、最後じゃねぇよ。また買ってやるって言ってるだろうが。失くしたら、失くすたびに買ってやる。これから、ずっと。それでいいだろうが」
「……ずっと?」

大きく目を見開いて、悟空は三蔵を見つめる。

「あぁ。ずっと、だ」
「さんぞっ」

ずっとに力を込めて答えると、悟空が飛びついてきた。

ずっと一緒。置いていかない。

そう言われたものと正しく理解したのだとわかる。
それは悟空の一番の願いだから。

全身で飛び込んでくる悟空を三蔵は受け止めた。