The Apple of the Eye (6)
閉店間近の店内。客はカウンターに突っ伏している一人しかいない。
「悟空、もうあがってもいいですよ。僕は、ちょっとここで人と会う約束があるので。後片付けはやっておきます」
店長代理の八戒がいつもの通り、にこにこと笑いながら声をかけてきた。
「あ、うん。でも、上だけはやっとくよ」
そう答え、備え付けの調味料のトレイを集めて回る。
この喫茶店で働きだしてから、二週間。いろんな手順に慣れてきたところだった。
喫茶店にしては珍しく、表に「住み込み可」と書かれた求人の張り紙が張ってあったので、中に入ってみた。応対してくれたのは店長代理の八戒で、あまりに若かったんで驚いた。それより驚いたのは、八戒があっさりと『いつから来れます?』と聞いてきたことだった。今まで散々、家出少年と間違えられて、断られてきたのに。
八戒は俺の驚きを違う意味でとったらしく、『部屋を見てからの方がいいですよね』と言ってくれた。ぶんぶんと首を横に振った。部屋なんて何でも良かった。雨風を防げれば、それで十分。
二階にあるその部屋は、今はインドだかチベットだかに行ってしまった八戒の従兄の店長が使っていたそうで、一人暮らしに必要なものは一通り揃っていた。
『そのうち、フラッと帰ってくるかもしれませんけど、悟空を追い出したりしませんから安心してください』
にっこりと笑って八戒がそう言った。なんかその笑顔に圧迫感を覚えた。
「悟空、そこはいいですよ。他の片付けと一緒に、学習しない人にやってもらいますから」
突っ伏している客の目の前のトレイを取ろうか取るまいか迷っていたら、八戒があの時と同じ笑顔を浮かべて言ってきた。
「……ひでぇなぁ」
のろのろと、最後の客が頭をあげた。鮮やかな赤い髪がサラッと流れ落ちる。
「失恋して落ち込んでいるっていうのに、この扱い」
「あなたの場合、女性に声をかけすぎなんですよ。誰にでもいい顔をしようとするから、そういう目にあうんです。自業自得ですよ」
「傷口に塩を塗るようなことを」
いきなりその客に腕を掴まれた。そのまま腕の中に閉じ込められる。
「悟空ならいい子だから、慰めてくれるよな」
違う煙草の香。違う腕の感触。
忘れようとしていたことが蘇ってくる。
「離せよ、悟浄」
振り解こうとしてもがいたが、面白がっているのか、ますます締めつけられて抜け出せない。
ヤダ。
思わず大声をあげそうになったとき、軽やかな鈴の音がして店の扉が開いた。
目に飛び込んでくる、煌く金色の髪。
三蔵――。
びっくりして、思わず動きを止めた。