変奏曲〜variation (5)


「もう、三蔵のバカ。遅くなっちゃったじゃないか」

 階段を降りながら、悟空が文句を言う。
 ついさっきまでの様子を微塵も感じさせない口調と態度。
 そのギャップに驚かされもするが、誰にも見せたくはないという独占欲もある。
 三蔵は、微かに唇に笑みを刻んだ。

「そんなこといってもな」
「あ、光明」

 反論しようとした三蔵の言葉は、悟空の声に遮られる。
 見ると、ちょうど階段の下に光明の姿があった。

「おや、起きたんですか? もう少し寝てても良かったのに」
「ううん。ごめんなさい、遅くなって――というか」

 そこで悟空ははっとしたような顔をし、ぱっと頬に朱の色を散らした。

「えぇっと、昨日はここに泊まらせてもらって――」

 その台詞に、光明は一瞬きょとんとした表情を浮かべるが、すぐにその顔には笑みが浮かぶ。

「あぁ。あなたがここにいるのが、あんまりにも自然だったものですから……。別に気にしなくてもいいですよ。ここはあなたの家のようなものですから。というか、いっそのこと、本当の家にしてしまいませんか?」

 にこにこと笑いながら言う光明に、悟空は少し困ったかのような表情をする。

「ま、考えておいてくださいね」
「うん。――あ、光明、朝ごはんは?」
「ちょうど朝の散歩から帰ってきたところで、これから作ろうかと思っていたんですが」
「まだなんだね、良かった。俺、作るから」
「そうですか。でも、お手伝いしますよ」

 悟空と光明は二人仲良く、キッチンにと向かう。
 なんだか無視されたように取り残された三蔵は、なんとなく溜息をつき、二人の後を追った。



□  ■  □



 午後、三蔵が家を出るときまで、三人で他愛もない話をし、ゆったりと時間は流れていった。
 それは穏やかで優しく、心休まる時間。
 三蔵が家を出る時間になると、悟空は少し寂しげな笑みを浮かべ、「じゃあまたね」と言おうとした。だが。

「今日は一日、いろいろとつきあえと言っただろ?」

 と、三蔵に手を引かれた。
 わけがわからぬまま、光明に暇の挨拶をすると、そのまま車に乗せられた。やっと行き先を聞き出したのは、走り出した車の中で、だった。

「練習」

 短く、三蔵は悟空に告げた。
 どうやらバンドの練習に連れて行くつもりらしい。

「え? でも、俺が行っていいの? 邪魔になるだけじゃない?」
「別に邪魔になりはしないさ。それに、他のヤツらが会いたいと煩くてな」

 そこで言葉を切り、三蔵はちらりと悟空に視線を送った。

「会うのが嫌なら、終わるまでどこかで時間を潰していても構わないが」

 以前、悟空は《ou topos》の曲を作るときに、自分のことは誰にも言わないで欲しいと言っていた。その時既に、三蔵は悟空のこと他のメンバーに話していたが、そうでなければきっと、メンバーにも黙っていてほしいと言っていただろう。

「会うのが嫌ってわけじゃ……ただ……」

 悟空は困ったように言いよどむ。
 少し俯いたその様子は、とても儚げで、頼りない感じがする。

「お前を傷つけるようなことをするやつはいねぇよ」

 だがそう言われて、悟空はゆっくりと顔をあげて三蔵の方を向いた。

「そうだね……」

 綺麗な横顔を見つめて、悟空はほとんど聞こえないような声で呟くと、ふっと体から力を抜いた。
 三蔵の言うことならば信じられる。
 不安や恐怖が、淡雪のように溶けていく。

「三蔵がそう言うなら……。邪魔じゃないっていうなら、行くよ」

 視線を正面に戻して、今度はしっかりとした声で言う。
 儚げな様子はもう消えていた。