変奏曲〜variation (7)


 流れる音が気持ち良い――。


 悟空は、体から余分な力をすべて抜き、音に包まれるように身を任せた。

 揺蕩う音も。
 走る音も。
 すべてが自分の内なるリズムと重なり合う。
 それは圧倒的な心地良さ。
 そして、何より。

 この声――。

 そっと目を伏せて、低く響く声に集中する。
 この声の響きに包まれているのは、なんて心地良いんだろう――。



□  ■  □



「悟空」

 曲が終わっても目を閉じ続けている悟空に三蔵が声をかけた。

「寝てんのか?」
「寝てないっ!」

 間髪も入れずに答えが返ってくる。
 悟空は、怒ったように目を開けるが、三蔵の顔が視界に入ると、条件反射のように笑みを浮かべた。

「音が凄い気持ち良かった。大好きだなって思った。特に三蔵の声。凄い好き」

 ただ好きだと繰り返すだけの言葉。
 稚拙とさえ言える、ありきたりの言葉。
 だが、媚もへつらいも何も含まれていない素直な言葉に、沈黙が降りた。

 場の雰囲気が変わったのがわかったのだろう。
 前に立つ三蔵を、悟空は小首をかしげ、問いかけるように見上げた。

「なんでもねぇよ」

 くしゃりと髪をかき回して、三蔵が言う。
 音楽的にどうのとか、技術がどうのとか。
 メジャーデビューしてから、いろいろと褒め称えられて忘れていた。

 大好き。

 そんな言葉が一番嬉しいのだということを。

「お前、少し弾いてみないか?」
「弾く……?」

 突然の三蔵の言葉に、悟空がきょとんとした表情を見せる。
 何も言わずに三蔵が後ろを振り返ったので、素直にその視線を追うと。
 そこには、キーボードがたてかけてあった。

「急に借りてきたものなんで、あんまりいいものじゃないですけどね」

 心得たように、八戒がキーボードを置くスタンドを立てて、準備をしていく。
 悟空の目が丸くなる。
 しばらく悟空は八戒の作業を見守っていたが、やがて伺いをたてるかのように、三蔵を見上げた。
 三蔵は微かに笑い、促すかのように悟空の腕を掴んで立たせた。
 軽く背を押されて、悟空はキーボートに向かう。
 前まで行き着くと、立ち止まり、少し躊躇い、それから、そっと確かめるように鍵を押した。
 澄んだ音が響いた。

「ピアノとは勝手が違うと思うが……。こういうのを弾くのは初めてか?」

 三蔵の言葉に悟空は頷く。

「鍵盤が軽い」
「そうだな。弾けそうか?」
「大丈夫……だと思うけど……」
「じゃあ、『The Sky』を」

 三蔵はマイクをとりあげた。

「あ、待って。どうせなら、二人も入って」

 悟空は、八戒と悟浄に声をかけた。
 ピアノソロのバージョンを演奏すると思ったのだろう。
 二人は聞く態勢になっていた。

「普通に弾いてくれる? 音、足してみたい」

 軽く驚いたような表情をしている二人に向かって、悟空は言葉を続ける。
 一瞬、二人は顔を見合すが、改めて楽器をとりあげた。

「了解」
「わかりました」

 そして。
 曲が始まった。



□  ■  □



 The Sky――。

 アルバムもこの名でつけたほど、三人がともに気に入り、今までに何度も演奏してきた曲。
 だが、今、演奏しているのは、同じ曲なはずなのに、まるで違った印象を受ける。

 この曲がピアノソロでバラード調になったときも驚いた。
 だが、あれはアレンジ。
 演奏する楽器も違うし、違っていても、そういうアレンジをしたのだから、と思う部分もあった。
 だが、今回は。

 いつものように弾いているはずなのに。
 いつものように歌っているはずなのに。

 キーボードの音が入る。

 それだけで、ここまで変わるものなのだろうか、と思う。
 そして、それは決して悪い方向ではなく。
 音に深みと厚みが増して。
 悟空の奏でる音は、もとの曲を決して損なうことなく、逆に際立たせていく。

 やがて、最後の一音が宙に消えて。
 ふっと悟空がため息をついたとき。
 全員の顔には笑みが浮かんでいた。