変奏曲〜variation (12)


「三蔵」

 繋がったままの電話に、悟空はそっと呼びかけた。

「なんだ?」
「あ、ごめん。違う。呼んでみただけ」

 答えが返ってきて、悟空は慌てて携帯に話しかける。
 そうしながらも、知らない人間に突然絡まれ、怖い思いをしているこんなときなのに、凄く幸せだと感じる。
 心配してくれる人がいることに。
 その人が何をおいても自分のところに駆けつけてきてくれることに。

「もうすぐだ」
「うん……」

 ふわりと、悟空は笑みを浮かべた。
 だが。

「……なにをっ?!」

 ふいに背後から、携帯を奪い取られた。
 振り返り、悟空の目は驚きに見開かれる。
 さきほどの――道雁と名乗った青年がそこに立っていた。
 足音も、そしてなんの気配もなかった。

「悟空?!」

 ただならない雰囲気を感じ取ったのだろう。
 取り上げられた携帯から、かすかに三蔵が怒鳴る声が漏れ聞こえてきた。

「三蔵さま……」

 能面のように、表情を消して道雁が携帯に向かって呟いた。それから、携帯を耳にあてる。

「そうです。おわかりなりますか? それは光栄です。僕をわかってくださるとは」

 三蔵と会話をしているようだが、悟空からは三蔵の声は聞こえない。

「いいえ。まだ、何も。ですが、ご安心ください。すぐに邪魔者は片付けますから。こんなあなたに相応しくないヤツなど」

 冷たい目が悟空の方を向く。
 悟空は我知らず、後退さった。

「いいえ。そうではありません。確かに、あんな曲は《ou topos》に合わないとは思っていますが、そんなちっぽけな嫉妬心なんかでこんなことをしようというのではありません。三蔵さまは誤解なさってます」

 ふっと視線がそらされた。
 三蔵が会話で引き止めているうちに、この場から立ち去ったほうがいいかもしれない。
 そろそろを悟空は後ろにと動き出した。
 だが。

「なにもわかっていないのは、あなたのほうです。こいつは三蔵さまに相応しくないどころか、害にしかなりません。だって、僕は知ってるんです。こいつが何者なのか、なにをしてきたのか」

 ねめつけられるように見られ、悟空は動きを止めた。
 言葉の意味にするところに、血の気が引いていく。

「なにをおっしゃってるんですか? そんなことではありません。どうしてそのようなことを。いいえ。違います。違うんです」

 道雁の声がだんだんと大きくなっていく。苛立つかのように体をゆすり、そして、ついに携帯を耳から離すと、手にした携帯を見つめた。

「持ち主と同じで、まったく使えないですね。こうも間違った言葉でしか会話ができないとは」

 独り言のように呟く。
 それから、突然、道雁の腕が上にとあがった。

「やめっ!」

 止める間もなかった。
 携帯は鈍い音とともに地面に叩きつけられた。そして、カラカラという音を立て、悟空の足元まで転がってきた。

「な……で……」

 震える声と指先。
 取り上げた携帯の画面はヒビが入り、真っ暗になっていた。

「なんでっ?!」

 携帯を胸に抱きしめて、悟空は道雁を睨みつけた。
 頭の中が沸騰しそうだった。
 一瞬、今の状況をすべて忘れた。
 ここには三蔵からのメールも、いやいやながらも写ってくれた写真も入っていたのだ。
 大切な、大切な思い出が。

「なんで……。それは僕の方が聞きたいですよ。なんであなたなんかが我が物顔で、三蔵さまの隣にいるんですか。陽の光などまったく相応しくない境遇のくせに」

 ゆらり、と道雁が悟空に近づいてくる。
 悟空は逃げもせずに、携帯を抱えたままその姿を睨みつけていた。

 道雁がゆっくりと懐の差し入れた手があがったときも。
 その手に光るものが握られているのを見たときも。

 ただ挑むようにその姿を目に映して立ち尽くしていた。


 勢い良く、道雁の腕が振り下ろされる。

 そして。

 目の前で、赤い花が咲いたような気がした。

 それから目に入る、金色の光。



「――三蔵っ?!」


 目の前で崩れ落ちる姿に、悟空は驚愕の叫び声をあげた。