変奏曲〜variation (13)


「三蔵、三蔵、三蔵っ」

 野外ライブの舞台裏で。
 まるで壊れたレコードのように、悟空はそれだけを繰り返していた。

「大丈夫だ」

 落ち着かせるように三蔵は言って、悟空の頭に手をやる。

「なにが大丈夫ですか。こんなケガして。あぁ、もうちゃんと傷口を心臓より高くあげて、押さえておいてください」

 駆けつけてきた八戒が少し青ざめた顔で三蔵の腕を取る。

「救急箱……じゃ、足りませんよ、これ。病院に……」
「バカいえ。いいから、なにか縛るもの。そのうち血も止まる。さっさとしねぇと、もうそろそろ限界だろう」

 開始予定時刻から既に20分。
 遅れるとのアナウンスはしてあったが、確かにもうそろそろ限界だろう。
 じりじりとした雰囲気は、舞台裏にいても伝わってきていた。

「ダメ、三蔵。ちゃんと病院に行って」

 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、悟空が言う。

「悪いが、お前の頼みでもそれは聞けねぇよ。大丈夫だから」

 くしゃりと髪をかき回して三蔵が言う。

「って、やる気なのか、三蔵」

 少し遅れて、道雁を人に引き渡した悟浄が現れる。

「悟浄。あなたがついていながら、なんでこんな」

 多少八つ当たり気味に八戒が口を開く。

「しょーがねぇだろ。止める間もなく、ナイフの前に飛び出してっちまったんだから。こっちだって、心臓が止まるかと思ったぞ」
「……体が勝手に動いちまったんだよ」 

 仏頂面で三蔵が呟く。
 何も考えてはいなかった。
 ただ、失うかもしれない。
 そんな恐怖に突き動かされただけ。

「三蔵、三蔵。お願い、病院……」
「だから、大丈夫だと言ってるだろ。行くぞ」

 腕をきつくハンカチで縛っただけで、三蔵はステージへと向かう。

「ダメっ!」

 それを、悟空が怪我をしていない方の腕を掴んでとめる。

「だったら、ちゃんと手当てして。お願いっ」

 そして、そのまま引っ張って八戒にと押し付けるように引き渡す。

「血を止めて。ちゃんと手当てをして、包帯して。お願い。五分くらいなら、なんとかするから」

 ぐいっと涙を拭う。
 視線の先には、ピアノ。
 それは、アンコールがかかったときのために用意されていたもの。『The Sky』を三蔵がピアノで弾き語りをすることになっていた。

 悟空は迷いもなくそちらに向かって歩いていく。
 その最中にも、ざわざわと客席は落ち付かずに、揺れ動いていた。
 幕もなにもない野外ステージで、照明は舞台を照らし続けていたので、舞台を進んでいく悟空の影に気づいた前の方の席の人間は、始まるのかと一瞬、色めきたった。だが、すぐに悟空が《ou topos》のメンバーでないことがわかり、期待は失望に変わる。

「いつまで待たせるんだ」

 そんな不満が声になって、大きくなろうとしたとき。

 バーン、と凄まじい不協和音が叩きつけられた。

 しん、と会場が静まり返る。
 一瞬にして、人々の注意はピアノにと惹きつけられた。
 その機を捕らえるかのように、ピアノが曲を奏ではじめる。

 ベートベンの『月光』第3楽章。

 たぶん大部分の人が一度は聞いたことのある曲。
 耳に覚えのある曲で、早いテンポで刻まれる音に、ますます人々の注意は惹きつけられていった。
 強弱をつけて繰り返されるリズムは心地良く体に響き、情感溢れる音が耳をくすぐる。
 旋律は、美しく生き生きと響き渡り、人々の心に染み込んでいく。
 いまや会場は静まりかえり、固唾を呑むようにその音に聞き入っていった。
 と、流れるように曲調が変化した。

 月光――。

 同じ曲名でも、こちらはアルバム『The Sky』のなかの一曲。
 その曲へと、違和感なく奏でる音が変わっていく。
 いつの間にか流れる音は高く、軽くなり。
 まるで、月の光がキラキラと輝いているような印象を与える。

 やがてゆっくりとメロディラインを二度繰り返し、フェードアウトするように、音が小さくなっていく。
 それとともに、ステージの照明がだんだんと暗くなっていき、最後の一音が余韻とともに消えたとき、すでに陽が落ちて暗くなった周囲と同化するかのようにステージは真っ暗になった。

 が。

 ――月の光が零れ落ちる
 ――君の白い背中を滑らかに

 三蔵の、囁きかけるように歌う声がステージ中央から聞こえてきた。
 会場のすべての注意が、声のした一点に向く。

 その刹那、ドラムが開演を告げるベルのように鳴り響き。
 一斉にライトがステージを明々と照らし出した。

 そして、客席から湧き上がる歓声とともに、ライブが始まった。