旋律〜melody(4)


静まり返ったなか、微かに波音が聞こえる。
窓を閉め切ってしまえば、昼間はほとんど聞こえることはないのだが、夜は微かに響いてくることがある。

この音はあまり好きではない。

灯りのついていない部屋の真ん中で、悟空は小さく丸まっていた。
バイト先から帰り、寒気を覚えて毛布を引っ張り出して頭から被り、それからずっとそのままだ。

このままじゃいけない、と思うが、動けずにいた。
なにもかも――自分の思考さえ遮断したい。

だが、繰り返す波音が――。


「……っ」


悟空は込みあげてくる嗚咽を噛み殺した。

ダメだ、と思う。
このままじゃダメだ。

ちゃんと雨戸を閉めよう。そうすれば音はもっと聞こえなくなる。
それから電気をつけて。そうすれば明るくなるから、少しは気分も浮上する。
波音が嫌ならばテレビをつけるか――ピアノ室にいけばいい。あそこなら防音だから、音は聞こえない。

そう思うのだが、動けない。

それに、ここは寒い。
そうしてこんなに寒いのだろう――。

毛布を被っているのに、ちっとも暖かくならない。
ここは、ひどく――ひどく他人行儀な、そんな感じもする。

そんなことはないのに。

ここは――悟空が幼少の頃と父が亡くなってからの一時期過ごしていた場所だった。
名義はいまは母の叔父になっているはずだ。
が、もともとは母の家だった。母の両親が――つまりは悟空の祖父母が亡くなったときに母のものとなり、母が亡くなったときに母の叔父のものになった。
その大叔父とは、両親のことで縁遠くなっていたが――いや、だからこそ手切れ金のつもりなのかもしれないが、この家はずっと好きに使って良い、と言われていた。

ひとり暮らしをしていたアパートを引き払ってしまい、未成年で保証人の当てもないのではここに来るしかなかった。
ただ、少し遠い親戚名義だというのが幸いしたのか。
あの報道が渦中のときにここまでやってくる人間はいなかったので静かに身を潜めていられた。
悟空は一介の高校生だったし、悟空の経歴をすべて調べる手間をかけるほど《ou topos》の知名度があるわけではなかった、ということだろう。


初めてピアノに触れたのは、ここだった。

綺麗な音。

それが聞きたくて、わけもわからず鳴らそうとして、でもうまく鳴らなくて、怒ったり拗ねたりした。
笑いながらお父さんが膝のうえに抱きあげてくれて、一緒に手を添えて音を出してくれた。

お父さんのピアノを聴くのが好きだった。
きらきらが目に見えるようだった。

ここにはこんなにも優しい思い出がつまっているはずなのに。
それなのに。

どうしてこんな、見知らぬところにいるような気分になるのだろう。

家は――。
家というのは。


「三蔵……。光明……」


あの場所のようなところのことをいうのではないのだろうか。

いまのここにはない、温かさと光に満ちた――。

だけど。


だれもいないというのに泣き声を押し殺して、悟空はさらに小さく丸まった。