旋律〜melody(6)


光明から遣いを頼まれた場所は、都内から日帰りで行けることは行けるが、小旅行気分になるくらい郊外の海辺の町だった。
電車を乗り継ぎ、最後に二両ほどの小さな私鉄に乗って駅を降りると、潮の香がした。と同時に、ふと眩暈を覚え、三蔵は足を止めた。

なんだ、と思う。

物が一瞬、ぼやけて見えた。
いや、そうではなく、物の輪郭が二重に見えるような感じだ。
いま見ている景色に、ほんの少しだけ趣きが変わる景色が重なって見えるような、そんな感じ。

――知って、いる……?

来たことのない場所のはずだった。
そもそもこの駅の名前も初めて聞いた……はずなのだが、ここに来てみるとなぜか知っているような気がする。

こういうのを既視感というのかもしれない。
だが。

――馬鹿馬鹿しい。

そんな考えの方が先に立つ。
眉を顰め、軽く頭を振って、三蔵は地図を手に歩き出した。

緩やかな坂道をくだっていくとやがて視界が開け、海が見えてきた。
季節は既に冬だから、浜辺や海にほとんど人の姿はない。
海の青は少し沈んだような色で、どこか寒々しく見えた。

夏であればもっと綺麗に見えるのだが――と考え、また足を止める。

なぜだろう。
なぜか『知っている』という感じがつきまとう。
胸のあたりがもやもやする。

が、考えても考えても、知っているという根拠になる記憶はない。
ここに来たという記憶は皆無――なのだが。

三蔵は、知らず知らずのうちに眉間の皺を深くしながら、いつの間にか止めていた足をまた動かす。

繰り返す波の音に、ともすれば思考がどこかに連れていかれそうな――漂い出していきそうな気がするが、それをどうにか抑え、とりあえず手にしている地図を見ることに専念する。

だいぶ海に近くなった辺りで、白亜の洋風の建物が現れた。
目指すはその建物らしい。
三蔵は地図と建物を何度か確認し、それから門の脇についているインターフォンに手をかけた。
呼び出し音は聞こえなかったが、ほどなくしてインターフォンから微かなプチッというような音が聞こえてきた。


『入れ』


そして、そのただひとことだけが響く。
その後は沈黙。
あまりにも素っ気なさすぎて、一瞬、思考が固まる。

自身も愛想がないとよく言われるが、これはそのうえをいくのではないだろうか。
というか、ただひとことであったが、なんだか上から目線のような、非常に尊大な印象を受ける。
三蔵が眉間の皺を深くしたところで。


「なんだ。入れといってるだろうが」


突然、門の向こう、四、五メートル先にある玄関の扉が開いて、黒髪の美女が現れた。

いや、美女と言って良いのだろうか。
次の瞬間、ふとそんなことを思う。

顔の造作の問題ではない。
それならば、目鼻立ちの通ったはっきりとした顔立ちで、『絶世の』という形容詞をつけてもおかしくないくらいの美女だ。
それに出るべきところは出て、締まっているべきところは締まっていて、芸術的と言ってよいほどの曲線美で、総合的に見ても『美女』という定義にこれほどあてはまる女性はそういないだろう。

のだが。
腰に軽く手をあてて、ふんぞり返るようにして三蔵を見ているその姿は――まったく色香を感じさせない。
つまりは『女』を感じさせない。
それはいっそ清々しいくらいに。


「どうした? まさか俺の顔まで忘れたわけじゃねぇだろ?」

「観音……」


三蔵が呟くと、美女の唇の端があがり、少し楽しそうな表情が浮かぶ。


「まぁ、入れ。こんなところで立ち話もなんだろう」


そしてそれだけ言うと、さっさと家のなかにと入ってしまう。
毒気を抜かれた体で三蔵は門を押し開けると、洋館に向かって歩き出した。