旋律〜melody(7)


陽の光が燦々と差し込む、サンルームのようなところに三蔵は通された。
玄関を入るとすでに観音の姿はなかったが、きっちりとスーツを着込んだ初老の男性がいて、ここに通してくれた。
観音はすでに寛いだ様子でゆったりとした椅子に腰かけ、品の良いカップを手にしていた。


「まぁ、座れ」


軽く視線で観音が促され、三蔵は観音の前の椅子に腰をおろした。


「飲み物はどうする? ここは喫茶店じゃねぇが、たいていのものはあるぞ?」

「……同じでいい」


部屋のなかには紅茶の良い香りが広がっていた。


「なんだ、つまらん」


なにがつまらないのかイマイチよくわからないが、そこはとりあえず黙殺する。
初老の男性が心得たように、部屋を出て行った。


「養父からの頼まれものだ」


改めて三蔵は手に持っていた紙袋を観音の方に差し出した。
珍しくも微かに緊張しているような面持ちをしている。三蔵を知る人がこの場にいたらさぞかし目を疑ったことだろう。

そこまで三蔵が緊張するこの観音という女性は、とりあえず表面的な事実からすると、三蔵の叔母に当たる。
三蔵の父親の――光明ではなく、本当の父親の一番下の妹だ。

といっても、世間一般の叔母と甥ほど親しくはない。
年に一度、正月に本家に挨拶をしに行くときに顔を合わせるくらいだ。
というか、三蔵にとって玄奘家の面々との交流はそんなものだった。

親戚といっても遠い。

というのも、玄奘家はかなりの資産家で会社の経営もいくつか手掛けていたが、三蔵の祖父が亡くなったときにお家騒動が持ち上がったせいである。

祖父はまだまだ元気だったせいか、遺産についてのことは一切手つかずのままだった。
普通そういうときは法的な基準で分配されるのであろうが、祖父には前妻が二人いて、それぞれに子供もいた。
そのうちの一人が祖父の会社のひとつで重役をしており、やっかいなことに後妻の子供たちと折り合いが悪かった。
そのため遺産の分配の他に会社の後継者の問題も加わり、いろいろなことが揉めに揉め、収拾がつかない状態になってしまった――らしい。

らしい、というのはその頃、三蔵はまだ小学生で、どんなことが起こっていたのかあまりよくわかっていなかったからだ。
だが、お家騒動の実態はよくわからなくても、その煽りはもろに食った。
というのも、三蔵の預かり知らぬところで祖父は三蔵を玄奘家の跡取りにしようとしていたらしいのだ。

なんでもそういう書きつけが見つかったらしい。
そのせいで三蔵は親戚から面と向かって罵倒されたり、実の親からも、自分を通り越してのことに腹を立てたのか冷たくされるようになってしまった。

三蔵は歳の割にはしっかりした子供ではあったが、いくらしっかりしているといっても所詮は子供である。
そういった環境の激変に対処のしようもなく、ただ耐えるしか手段はなかったのだが、そんな最悪の環境から救い出してくれたのが養父である光明と、そして目の前にいる観音だった。

観音は先に述べたように、三蔵の叔母にあたる。祖父が亡くなった時は外国に留学していた。
帰国して、しばらくは相続争いを傍観していたようなのだが、いつまでたっても埒があかないことに苛立ったのだろう。
並び居る兄弟達を向こうに回し、蹴散らし、最終的には自分が玄奘家の当主の座に収まってしまった。

その最中に、三蔵は実の両親のもとから連れ出され、光明のところに預けられた。

観音はずっと外国に留学していて、ほとんど三蔵と面識がなかった。
ので、突然、家に来て、いきなり腕を掴まれて外に連れ出されそうになったときは、誘拐されるのかと思ったものだ。
抵抗すると、尊大な態度で『こんなくだらねぇことに巻き込まれて潰れるつもりか?』と聞かれた。

まっすぐ、射抜くように見つめてくる瞳。

その視線の強さになにかを感じとり、三蔵はついて行くことにした。
いささか自暴自棄になっていたせいもあるだろうが。

結果的にそれは正解だった。

あのまま遺産相続の渦中にいたらどうなってしまっていたか――。
正直、考えたくないし、第一、その頃のことは思い出したくもない。

というわけで簡潔に言えば、目の前のこの女性は叔母であり、恩人でもあると言えた。