旋律〜melody(18)



遠くに見える影がだれなのか。

三蔵には、シルエットだけでわかった。
ふらふらと――海に向かおうとしている。
信じられない思いで凍りついたようにそれを見つめ、だが次の瞬間、はっとして三蔵は走り出した。
全速力で走るが、距離がありすぎる。

ダメだ、ダメだ、ダメだ。

そんな言葉が頭のなかを延々と巡る。


「悟空っ!」


そして、ありったけの叫びとともに、海に足を踏み入れたとき。



飛沫とともに、記憶が弾けた。








夏の暑い盛りのことだった。

祖父の死で巻き起こったお家騒動をさけるべく自分の家から連れ出された三蔵は、説明もなくここに――この海辺の町に連れてこられた。
そして三蔵を連れ出した張本人の綺麗な叔母は、家で静かに読書をして過ごす三蔵を、子供らしくないと言って無理やり公園まで引きずっていき、そこに置き去りした。

――まったく勝手なことばかり。

隠し持っていた本を日陰のベンチで広げながら、三蔵はそう思っていた。
子供が皆、元気に遊ぶのが好きとは限らない。
どちらかというと三蔵はひとり静かに過ごしている方が好きだった。
だから公園ではたくさんの子供たちが遊んでいたが、仲間に加わる気は毛頭なかった――のだが。


「なに、読んでるんだ?」


いきなり、大きな金色の目をした子供に話しかけられた。
無邪気に笑う顔。
人懐っこくて、だれとでも苦労せずに打ち解けられるような――そんな感じだった。

が、三蔵は少し嫌そうな表情を見せ、質問には答えずに無視をした。
いまはだれとも話したくなかった。

子供は少しの間まとわりついていたがなにをしても無駄と悟ったのか、しばらくして離れて行った。
ほっとした反面、しゅんとした後ろ姿がなぜか気になった。
人の都合を気にせずに話しかけてくる者を無視することに罪悪感など覚えたことはない。
だが、なぜか――あの子供には少しそんな感情を抱いた。

あまりにも無邪気に話しかけてきたからかもしれない。
だが、もう会うこともないだろう――と思っていたのだが。
その後も公園に追い出される日々が続いた。

子供だからといって、外で遊ばなければならないということはないだろう、と叔母に言ってみたのだが『別に外を駆けまわれとは言ってねぇよ。お前、顔色悪ぃから少しは日に焼けろ』と言われ、あとはなんと抗議しても無駄だった。
そうして不本意ながら公園で過ごすことになり、そして行けば必ず金眼の子供がまとわりついてくるようになった。
初日に嫌な思いをしだろうに、そしてその後も特に愛想よくしたつもりはないのに、なぜかその子供は三蔵に懐いて一緒にいたがった。

だれからも好かれる素直で可愛い子供。

三蔵との接点はまったくないはずなのに。
そうやってまとわりつかれているうちに、ふと気づくと、三蔵はその子供となんだか親しく話をするようになっていた。
懐に潜り込まれてしまったような感じだが、不思議と嫌ではなかった。
ただどうしてそんなに自分に固執するのかはわからず、一度だけ、聞いてみたことがあった。

――さんぞ、は、キラキラだからっ。

ちょっと舌足らずな口調で、そういう答えが返ってきた。
キラキラ綺麗だから!と嬉しそうに話すその子供を、なんだか素直に可愛いと思えた。

だが。
ある日を境にその子供は公園に来なくなった。

なにがあったのだろう――。

心配したが、考えてもみればその子供がどこに住んでいるのか、まったく知らなかった。

もうこのまま会えなくなるかもしれない――。

そう考えると、妙に胸がざわついた。
が、その反面、またきっと会える――という奇妙な確信めいたものもあった。


そして、あの夜。
三蔵が海岸まで出てきたのは、ただの偶然だった。

その日の夕方、三蔵の本当の両親が押しかけてきて、観音と口論して帰っていった。
両親との関係はもう縁を切るしかないところまでこじれてしまっていた。
だが、本当の親だ。
自分を悪しざまに罵るところなんて、見たくはなかったし、聞きたくもなかった。

ひどく嫌な気分でなんだかむしゃくしゃして、夜の荒れた海を見たくなった。
だから、夜にこっそりと抜け出して、わざわざ海岸線まで降りていった。


そして。

海を――沖に向かう影をみつけた。


「嫌だよっ」


泣き声が聞こえた。



それは――。