旋律〜melody(19)



「悟空っ!」


抱きとめる。あのときと同じように小さな体を、精一杯の力で。


「嫌だっ! お母さん! お母さんっ!」


悟空が手を伸ばし、更に沖に行こうとする。
既に水は悟空の胸のところくらいまである。
波が盛り上がれば、もうほとんど顔が隠れるくらいまで浸かってしまう。
そして寄せて返す波の力は強く――そのまま攫われて行ってしまうのではないだろうか。


「悟空っ!」


三蔵は必至に悟空を抱きとめ、陸の方へと引っ張っていこうとする。

――あのときと同じように。


「……やめろ」


無意識のうちに三蔵の口から言葉が漏れる。


「やめろよっ!」


あのとき、悟空の手を引いていたのは儚げな感じの女性だった。
だが、か弱そうな外見に反して、悟空の手を引く力はすごく強かった。
渾身の力を込めて引き留めようとするのに、ずるずると引きずられてしまう。

このままでは負けてしまう。

恐怖に体の芯が凍りつくような冷たさを覚えた。


「連れて行くなっ!」


だから叫んだ。
声の限りに。

すると。

ふっ、と沖へ沖へと向かう女性の動きが止まった。
ゆっくりと振り返り、三蔵の顔を見て戸惑ったような表情を浮かべる。

ずっと『やめろ』と叫んでいたのに、聞こえていないわけはないのに、いま初めて三蔵の存在に気づいたかのようだった。
ふたりは黙したまま、見つめ合う。

辺りには波の音と、泣きじゃくる悟空の声だけが響く。
ぐっと三蔵は悟空を自分の方に引き寄せ、挑むように女性を見つめ続けた。
そして、たぶん無意識だろうが。
悟空が泣きながら三蔵にすがりついてくる。

そんなふたりを見て。
互いに寄り添うように抱き合っているふたりを見て、女性は――。


「お……母さん……?」


腕のなかで悟空が震える声をあげた。
その声が現実のものなのか、過去のものなのかわからない。

だが。

いま――。


悟空も三蔵も、たぶん同じものを見ている。


同じ――幻を。


女性が微笑むのを。

ふわりと優しく、どこか安心したかのように。


そして。
悟空の手を離すと――。



「お母さんっ!」


手を伸ばす悟空をぎゅっと抱きしめる。

小さな頃の面影と、いまの悟空が重なる。
手を伸ばして、遠ざかる影を追いかけようとしている――同じ姿。

だが。

追いかけようとしているその影は、幻だ。

だから。


「行くなっ!」


三蔵は、全身全霊を込めて叫んだ。

と。
ふっ、と悟空の動きが止まった。

ようやく三蔵の声が届いたのだとわかった。
悟空が、ゆっくりと三蔵の方を見る。


「……さ、んぞ……?」


震える唇が名前を呼ぶ。
三蔵は言葉もなく、ただ包み込むように悟空を抱きしめた。
ようやくこの手に取り戻したのだと安堵して。
だが、いきなり力が抜けたかのように悟空の体が沈み込んだ。


「悟空っ!」


海のなかに沈む体を必死に支え、半分意識を失っているかのような悟空を引きずるようにして、三蔵は浜辺にと引き返していった。











ようやく波が届かないところまで引き返してきて、ふたりは力尽きたかのように砂のうえに倒れ込んだ。
仰向けに倒れ込んだ三蔵の胸の辺りに悟空の頭が乗っている。荒く呼吸をしながら、三蔵はその頭を抱えるように手を置いた。
少し、悟空が息を呑んだのがわかった。

それからゆっくりと悟空が起き上がり、倒れている三蔵を上から覗きこむ。
微かに唇が震えるが――そこから言葉が零れ落ちることはない。代わりのように大きな瞳から涙の滴が零れ落ちてきた。
その瞳は暗闇のなかで微かな光を映して金色に輝いている。

あぁ。この金色だ、と思う。


ずっと――小さな頃から変わらぬ金色。


三蔵は手を伸ばして悟空の頬にと添える。
それから上半身を起こして、悟空と同じ目の高さになった。

指先から伝わる温もり。
これを失うところだったのだ、と改めて意識する。

もう二度と――。

三蔵は両手で悟空を引き寄せると、しっかりとその腕のなかにと抱きしめた。