祈りにも似た声無き叫び(3)
三蔵と八戒が店の扉をくぐると、やや照明を抑えた、静かで落ち着いた雰囲気が二人を迎えた。
「いらっしゃいませ。お二人さまですか?」
すぐに店員が気づいて、近づいてきた。
「あ、いえ、食事に来たのではありません。お忙しいところ恐縮ですけど、こちらで働いている孫君に用事があるのです。呼び出していただくことはできますか?」
にっこりと笑って八戒が言った。
「孫、ですか? 失礼ですけれど、どういった用件で?」
軽く困惑の表情を浮かべて店員が聞いてくる。
「ちょっとした身内の用事です」
相変わらず笑みを浮かべたまま八戒が言う。口調は柔らかいがそれ以上は有無も言わせぬ雰囲気が漂っている。
「お名前は?」
「玄奘三蔵です」
その答えに後ろに立っていた三蔵が嫌な顔をした。ちらりと店員が三蔵の方を確認するかのように視線を送った。
「少々お待ちください」
それからそう言って、店の奥にと姿を消した。
「どういうつもりだ?」
低い声で三蔵が尋ねる。
「名前ですか? だって、知らない人の名前じゃ出てきてくれないかもしれないじゃないですか。忙しそうですし」
しれっとした顔で八戒が答える。
「それにしても、良さそうなお店ですね」
ざっと店内を見回して八戒は言った。
それなりに席は埋まっているが、圧倒的に少人数で来ている客が多い。一人で、という客も結構見受けられた。
「出会ったのもここですか?」
八戒の言葉にふっと三蔵の記憶が引き戻される。
悟空と最初に会ったのは確かにここだが、その印象は覚えていない。いちいち店員の顔など見ていないし、覚えてもいないからだ。
だが、何度かくるうちにいつも接客する店員が同じだということに気付いた。
こちらに向ける笑顔が印象に残って。
それが他の客に向けるものと少し違うことに、それからまたしばらくしてから気付いた。
一緒に暮らし始めてから、悟空に一度聞いたことがあった。
店でいつも悟空が三蔵の接客をしていたのは偶然か、と。
頬を膨らませて、『偶然のわけないじゃん』と悟空は言った。
三蔵の接客ができるようにと一生懸命、店員の間に根回しをしていたというのだ。
それを聞いて、一言『馬鹿だな』と言った三蔵に、悟空はますます頬を膨らませた。
「玄奘さん? どうかしましたか?」
八戒の呼びかけで、三蔵の意識は現実に戻ってくる。
「何でもない」
そして素っ気なく答えた。
「愛想のない人ですね。そんなんでよく悟空君と付き合うことができましたね。きっかけは何だったか、ちゃんと覚えていますか?」
「教えなきゃならない理由はないな」
三蔵は煩いとでもいうような視線を八戒に送った。
「そんなに睨まなくても。僕はただ確認したかっただけですよ。あなたの記憶を。その記憶が本当かどうかを。先ほど約束しましたよね。あなたが真実をもとめるならばお手伝いをすると」
いつの間にか、八戒の顔から笑みが消えていた。
言葉の真意を聞こうと三蔵が口を開きかけた時、先ほどの店員が戻ってきた。
「すみません。孫はただいまVIPルームにて接客中です。火急の用でしたら呼び出しますが、それ以外でしたらご遠慮いただきたいのですが。ご伝言は承ります」
「そうですか」
一瞬、八戒は何か考えるような表情を浮かべたが、すぐにまた笑顔を浮かべた。
「わかりました。こちらから直接、孫君に連絡しますので伝言はいいです。お手数をおかけしました」
軽く会釈をし、踵を返す。三蔵もその後に続いた。
外に出ると、まるで目的があるように確かな足取りで八戒は歩き出した。
「VIPルームってどこにあるか知っていますか?」
少し躊躇ったあと、三蔵がついていくとそう聞かれた。
「確か三階だったはずだが」
答える間にも八戒はどんどんと進み、路地を通って店の裏に出ると非常階段を登りだした。
「おい、まさか」
「ここからなら行けるでしょう」
「待て」
三蔵はその肩を掴んで引き止めた。
「どういうことだ? そこまですることか?」
悟空に会わせてほしい。
結局、八戒の申し出を了承したものの、今日は仕事で帰ってくるのが遅いから明日にするよう告げると、八戒は職場まで行くと言い出した。
あまりに熱心に言うので連れてきたが、こういう手段をとるほど一刻も早く悟空に会いたいというのだろうか。
「今、会わなくてはたぶん姿を消して二度と会えなくなりますから」
「どういうことだ?」
「言葉通りの意味ですよ。明日この店に来ても『辞めた』と言われるだけで、その行方はわからなくなっている……。あなたの元からも消えているかもしれない」
その言葉に八戒の肩を掴んでいた三蔵の手が外れた。
「でも、今ならまだ店内にいると思います。VIPルームにいるのが嘘だったとしても」
八戒はそう言うと、また階段を登りだした。三蔵もその後に続く。
心なしか、二人の足取りは先ほどよりも速い。やがて三階に到着すると、八戒は非常扉を開けた。