祈りにも似た声無き叫び(9)


 月明かりの中に立つ悟空。手にした銀色の光。
「悟浄、必要ない」
 混乱した三蔵の意識は、悟空の言葉で我に返った。気がつくと、すぐそばに悟浄が立っていた。
「だが……」
 悟空の言葉に悟浄は言い淀んだが、軽く肩を竦める。
「回収と現場の復旧、急げ」
 それからいつの間にか集まってきた人間に指示を出しながら、三蔵のそばを離れた。
 呆然と、三蔵は朱泱が運び出されるのを見ていた。
 あの夜もそうだった。
 こうやって、見つめていると。
「三蔵」
 少年が目の前に立った。
 月光を背にしていたから、その顔はよくはわからなった。
 だが、微かな光を反射して鮮やかに輝く金色の瞳。
 それは、目の前のこの瞳と同じ――。
「真実をあげるよ。それを望んだんでしょう?」
 静かに悟空は口を開いた。
 あの夜と同じで、明るい月の光を背にしているから、悟空の表情は見えない。
「あの夜、光明を殺したのは、俺だよ」
 三蔵の目が驚愕に見開かれる。
「殺して、その記憶をあなたから奪った。ずっと忘れててくれれば良かったけど、朱泱が死ぬことで、あなたが思い出すかもしれないから、俺はあなたに近づいた。思い出してもらったら困るから。何もかも全部仕組んだことだった。あなたとの出会いも……」
「悟空」
 反射的に伸ばした三蔵の手は、悟空が身を引いたため、触れることなく空を切った。
「もう役目は終わった。結局、あなたは思い出しちゃったから」
 それを信じられぬ思いで三蔵は見つめる。
 手を伸ばせば、いつでも嬉しそうな笑顔を見せて腕の中におさまった。
 それなのに。
「何故……」
 微かに三蔵の声が震える。
「何故、お師匠さまを。そして、朱泱を」
「殺した理由? 理由なんてないよ。人を殺すのに、理由がいるの? 理由があれば、あなたは俺を許せるの?」
 小首をかしげるようにして悟空が言う。
「巡り合わせが悪かった、としか言いようがないね。こんな風に知っている人を二人も俺に殺されるなんて」
 そして微かに笑ったような感じがした。
「不運だったね」
 その言葉にカッと頭に血が上り、三蔵は悟空を睨みつけた。
「そんな言葉じゃ納得できない? ならば、特別にお詫びをしてもいいよ」
 すっと悟空が後ろにさがった。
「いつかまた会えるときがあったら、あなたの望むものをあげる」
 身を翻し悟空は走り出した。
「悟空っ!」
 ふわりとその体が宙に浮いた。
「――それが俺の命でも」
 言葉とともに、ふっと悟空の姿はかき消えた。
 辺りは静寂に包まれた。
 いつの間にか、朱泱の姿も、そこかしこにいた人間の姿も消えていた。
 ただ月の光が冴え冴えと輝くだけ。
「悟空……」
 呟く三蔵の目は、月の光を映し、強い光を放っていた。

「いいのか」
 悟空から大鎌を受け取った悟浄が気遣わしげな声をあげた。
「三蔵の記憶を抜かなかったこと? 記憶操作を二回行うことは危険だよ。下手したら人格が崩壊する」
「そうじゃなくて、あいつの傍を離れること。うまく理由をでっちあげればこのまま傍にいられたんじゃないか?」
「それは無理だよ」
 ふっと悟空は笑みを浮かべた。
「虚構の上に成り立っているものが、本物に成りえるのか、か……。痛いな……」
 胸を押さえる。
「猪悟能――いや、今は八戒か? そいつの言葉か?」
 悟浄がため息をついた。
「しかし、このままではその八戒と同じ存在になるぞ」
「花喃……」
 悟空は呟いた。
「覚えているよ。可愛い女の子だった」
 この手で命を奪った人間のことは全て覚えている。覚えていることが贖罪になるわけではないけれど。
「悟空、お前、本当にわかっているのか? 憎まれて、執拗に追われることになるんだぞ。今からでも遅くないから――」
「これでいいんだよ、悟浄」
「だが、お前は、本当に――」
「悟浄」
 静かに悟空は悟浄の言葉を遮った。
「悪いけど、しばらく一人にしておいてくれないかな。大丈夫だから」
 悟浄は少し考え、それから口を開いた。
「わかった」
 そして、それ以上は何も言わず、悟空のそばから離れていく。
「三蔵……」
 月を見上げ、悟空は呟いた。