雷、のち晴れ(3)


 翌日。いつものように三蔵を宿に残し、悟空、悟浄、八戒は町にと買出しに出てきた。
 一週間走り通しで疲れているジープを休ませるためと、ここを出たらまたしばらく野宿続きになるということで、出発は明日の朝、ということになっていた。
「ここに皺が寄ってるぞ。らしくないな、小猿ちゃん」
 地図をもとめて本屋へと入った八戒を待つ間、横目で悟空を見ながら、悟浄が話しかけた。軽い揶揄うような口調だったが、少し気遣わしげでもあった。というのも、朝、目を覚めた直後でも満漢全席がいけるという悟空が、珍しく今日は食が進まない様子だったのだ。しかも、町に出てくればあれやこれやと屋台をひやかして大騒ぎするのが常なのに、今日は一言も発していない。
「何かあったか?」
 しばらく待っても答えが返ってこなかったので、悟浄はもう一度尋ねてみたが、やはり返ってくるのは沈黙のみだ。悟浄は懐から煙草を取り出して火をつけた。
「……俺、なんて言ったっけ……?」
 一本が吸い終わる頃、地面を見つめたまま、悟空がポツリと言った。
「は?」
「この間、女の子を助けたとき。俺、なんか言ったような気がするんだけど……」
「あぁ」
 悟浄は、不意ににやりと笑った。
「あれはちょっと驚きだったな。お前からあんな言葉が聞けるとは」
 悟空は顔をあげて、悟浄の方を見た。
「って、小猿ちゃん。もう忘れちゃったの?」
 きょとんとしたその表情を見て、悟浄は呆れたように言う。
「なぁんだ。小猿ちゃんも目覚めたかと思ったんだが」
「なんだよ、それ。俺、いっつもちゃんと目は覚めてるぞ。俺が何を言ったんだよ」
 悟空の額の皺が深くなる。
 クスリと笑って、悟浄は煙草を地面にと落とした。
「お前はね、『女の子ってちっちゃくて、柔らかいんだ』って言ったの」
 そういえばそんなことを言った。
 ようやく思い出し、悟空の額から皺が消える。だが。
「それが普通って何?」
「は? 何が普通だって?」
 言葉にするつもりはなかったが、口にしていたらしい。悟浄が怪訝そうな顔をした。
「三蔵が、そう思うのが普通だからって。よく考えろって」
「あー、三蔵サマが、そんなことを」
 少し複雑そうな顔をし、悟浄はもう一本、煙草に火をつけた。それから、また額に皺を寄せている悟空を見やる。
「で、律儀に考えてるわけね。っつうか、お前、あの時、何か感じなかったわけ?」
「何かって?」
「だから、こう……。触ってみたいな、とか、抱きしめてみたいな、とか。柔らかくて気持ちよかったろ?」
「いきなりそんなことをしたら怒られるんじゃないか?」
「そりゃ、ホントにしたらな。だが、そうは思ったわけね」
 そう言われて、悟空は黙り込んだ。
「おいおい、そうは思わなかったわけ?」
「犬や猫だったら、そう思うかもしれないけど」
「あのなぁ、女の子と犬や猫を一緒にするなよな」
 悟浄はこめかみに手をあてた。ポーズだけでなく、本当に頭が痛んでくる。
「そんなこと、言われても」
 悟空はむぅっと頬を膨らませる。が、すぐに難しい顔になった。
「そう思うのが、普通なのか? でも……」
「『普通』なんて曖昧なものですけどね」
 と、突然、声が響いた。声のした方に二人が視線を向けると、にこにこと笑っている顔が目に入った。
「それが普通っていうのは、それが大多数ってことでしょうけど、自分が大多数の側にいないからといって間違いってことにはならないと思いますよ。普通っていう概念自体、時と場合によって変わってきますし。無理に大多数に合わせる必要もないでしょう」
 そう言いつつ、八戒は悟浄に携帯用の灰皿を差し出した。
「第一、どう感じるかなんてそれこそ人によって違いますし。人に無理やり押しつけない限り、どんな風に思おうと、道端に吸殻を捨てるより悪いことじゃないと思いますけど」
 笑顔なのに、なぜか迫力がある。
「……スミマセン」
 少し頬を引きつらせた悟浄がそう言って、吸っていた煙草を携帯用の灰皿へと落とした。
「自分がどう感じるか……?」
 考え込むように悟空は呟いた。それから、顔をあげる。
「ごめん、俺、ちょっと戻る」
 持っていた荷物を悟浄に押し付け、返事も聞かずに悟空は駆け出した。
 眉間に皺は綺麗に消えていた。