序曲〜prelude (5)


 そして、いつものように悟空がピアノを弾いていると、三蔵が現れた。
 いつものように笑みを見せ、悟空の指がピアノを奏でていく。
 いつもと違ったのは、近づいてきた三蔵が、ふわりと後ろから悟空を抱きしめたことだった。
 悟空の指が止まる。
 しんと静まりかえる部屋。
 その中で、囁くような三蔵の声だけが響いた。

「お前を抱きたい……」

 悟空は息を呑んだ。
 微かに体が震えだす。
 だが、それでも。

「……い……いよ……。三蔵が……そう……したいなら……」

 震える声でそう告げた。

 やがて、重なってきた唇に、悟空の震えは大きくなる。
 三蔵は、啄ばむように触れるだけのキスを繰り返した。
 悟空はぎゅっと目を瞑り、緊張しているかのように身を固くして、なすがままになっている。
 何の反応も返さず、ただ身を震わせているだけ。

 それでも、拒もうとはしない様子は、いっそ痛々しい感じがして、三蔵は腕の中に悟空をそっと抱き寄せた。
 いつでも悟空が逃げ出せるほどの力で柔らかく抱きしめて、悟空の髪に顔を埋める。
 その優しい仕草に、やがて悟空はおずおずと視線をあげた。と、悟空の髪から顔をあげた三蔵の紫暗の瞳と目があった。
 紫暗の目に浮かぶ優しい色に少しは安心したようであるが、それでも金色の目はゆらゆらと頼りなげに揺れている。三蔵はその目元にと唇を落とした。そうやって、羽のように軽いキスを、顔中いたるところに落としていると、だんだんに悟空の体の強張りは溶けていった。

 それを見て、三蔵はキスを深くする。
 唇の間を割って入り、ピクンと体を竦めた悟空をあやすように軽く舌を絡める。角度を変えてキスをするたびに軽く絡めたり、解いたり。何度かそれを繰り返すうちに慣れてきたようで、悟空からも三蔵に合わせるように舌を絡めてくるようになった。

 そこで、もう少し深く舌を絡めとる。
 クチュリという水音が、やけに大きく響いた。
 驚いたように悟空は身を引きかけるが、先ほどまでの優しい抱擁は今や苦しいほどのものに変わっていて、逃げ出すことは叶わない。

 そうしている間にも、舌は戯れのように、絡まってきては突き放され、思わず追いかけようとすると、三蔵の方に誘い込まれて甘噛みされる。
 幾度もそんなことを繰り返しているうちに、悟空の口から甘い吐息が漏れはじめた。震えているのは、怯えているからだけではない。
 何度も何度も深いキスを交わし、最後に一度、三蔵が悟空の上唇を啄ばんで、ようやく唇が離れていった。
 悟空の唇の端から、嚥下しきれなかった透明な液が零れ落ち、三蔵の綺麗な指が伸びてきて、それを拭った。

「あ……」

 と、悟空が掠れたような、短い声をあげて体を震わせた。
 先ほどまでのキスのほうが余程そんな声をあげるのにふさわしいだろうに。

 三蔵の指が触れる。

 ただそれだけのことに、感じいったかのような声をあげる。
 逆に煽られて、三蔵はキスで赤く熟れた唇を、もう一度奪った。
 が、今度のキスは短く、すぐに唇を離すと、すっかり力の抜けきった悟空の体を抱き上げた。
 二階の――三蔵の部屋に連れていき、ベッドの上掛けをはがして横たえる。

「さん……ぞ……」

 戦慄く唇が名前を呼ぶ。
 たぶん、これから何をされるのかまったくわかっていないだろうから、怯えるのも当たり前だ。
 安心させるかのように、軽く額にキスを落すと、ふわりと悟空が笑みを浮かべた。
 それに笑みを返し、三蔵はゆっくりと悟空に覆いかぶさっていった。

 怖がらせたいわけではないし、傷つけるつもりもない。
 三蔵の手は丁寧に、優しく、悟空の体を解きほぐしていく。
 今まで経験したことのないような、甘い疼きが体の奥から溢れてきて、悟空はすがるように三蔵にとしがみつく。

 耐え切れなくなって、名前を呼ぶと、呼び返してくれた。
 言葉は何もなくても、名前を呼んでくれるだけで、安心する。
 呼んでくれる名前のなかに、優しいものが込められているのを知っているから。
 悟空は吐息を吐き出すと、ますます三蔵にしがみついた。

 熱い。

 ただ、それだけを感じる。
 痛みとか快楽とか、全部が一緒になってその中に溶けている熱。
 何もかもがわからなくなって、今感じるのは、ただその熱と、三蔵だけ。
 その熱を、三蔵と分け合っているのだということだけ。
 熱は悟空のいたるところすべてに広がっていき、正常な意識を残さず奪いとっていく。

 甘く、高く、漏れる声を抑えられない。
 そして。
 白熱する光に、焼ききれたように、悟空は意識を手放した。


□ ■ □


 浮遊感に、悟空はうっすらと目を開けた。
 体が重く、どこからどこまでが自分の体かわからない。

「さん……」

 しっとりと汗ばんでいる体を離そうとするかのように、悟空は身じろぎをする。

「そのままでいろ」

 言いつつ、三蔵がさらに悟空の体を抱きこむ。

「で……も」
「いいから」

 低い囁き声に悟空は、安心したかのように体の力を抜き。
 もう一度、夢の中へと落ちていった。


 それから、二人の間に特別に変わったことがあったのか、というと、それほどのことはなかった。
 ただ、三蔵がずっと実家で過ごすようになったことと、当たり前のように体を重ねるようになったこと。
 穏やかな日々に、それだけが加わった。