思ひめし花の色 (3)


 軽い食事をしながら互いについての情報を交換し、それから悟空は三蔵と二人きりでホテルの庭にと追いやられた。

 いわゆる「若い人は若い人たち同士で」というやつだ。

 だが、どちらかというと、意気投合しているのはついてきた保護者同士で。
 懐かしの昔話などで盛り上がっており、その話を邪魔しないよう体よく追い払われた、という感じだった。
 保護者は、互いに忙しい身同士。この見合い自体、ただ単に自分たちがゆっくりと話す機会がほしかったのではないだろうか、と邪推してしまう。

 だいたい、いきなり二人きりにされてもなにを話して良いのかわからない。
 悟空は黙って三蔵の横を歩いていた。

 さっき聞いたところによると、この男――玄奘三蔵。23歳。玄奘グループの御曹司――は、その若さに関わらず、既に会社の経営を手がけ、経済界では一目も二目も置かれている人物ということだ。
 それがどういうことなのか、正確にはさっぱりわからなかったが、少なくとも話をするのに、昨日見たアニメの感想とか、友達から借りた漫画の本のこととか、今度出る新作のゲームソフトが凄いらしいとか、そういったことを言っても無駄だというのはわかった。

 ただ、どんなことを話題にしたらいいのかは、向こうも同じようにわからないらしく、しばらく二人は無言で歩いていた。
 が。

「その制服」

 突然、三蔵が口を開いた。
 制服?
 悟空は小首をかしげて三蔵を見上げた。

「制服を着てきたのはワザとか?」

 そう問われ、目と目が合い、あまりに綺麗な顔が自分を見ていることを急に意識して、悟空は顔を伏せた。

 最初に姿を見たときに、なんて綺麗な人だろうと思った。
 どんなエロ親父があらわれるのか、と内心ムカムカして待っていたのだが、不覚にも見とれた。
 こんなに綺麗で、家柄も、頭も良い人が、なんだって女子高生と見合いする羽目になったんだろう、と不思議に思った。
 どうしても見合いをして、結婚しなくちゃいけない理由があるんだとしても(そんなものがあるとしてだが)、この人ならば最初からもっと相手を選べるはずだ。少なくても、悟空ではなく、もっと釣り合いのとれたどこぞの深窓のお嬢さまなんかを。

「別に……理由はありません」

 そんなことを思いつつも、悟空は質問の答えを口に乗せた。

「ただ礼服の方が良いかと思って。きちんとした服をあまり持っていなかったので、制服にしたんですけど」

 これは嘘。
 洋服なら、光明が買ってくれると言っていたのだ。
 それに、それでなくても光明の趣味で、ワードローブはかなり充実している。

「そうか。見合い相手を喜ばせるためかと思ったが」
「え?」
「女子高生が制服姿でくれば、エロ親父なら喜ぶだろう」
「えぇ?! 逆効果?!」

 思わず叫ぶと、三蔵がクスリと笑った。
 その様子に、とっくにこちらの意図に気づいていたのだとわかる。
 コドモを見合い相手に選ぶなんて、どれほど恥ずかしいことなのか思い知らせてやるつもりだったのだ。
 だから、わざと子供っぽく見えるよう、髪も三つ編みにしてきた。

 それにしても、隣でまだ笑みを浮かべているこの男。
 かなり性格が悪いと見た。
 すると、それを裏付けるかのように、突然、周囲の空気が変わった。
 不穏な空気が流れてくる。

「……なんか恨みを買うようなことでもしてます?」

 嫌な感じだが、殺気まではいっていない。
 視線は、隣の男に向けられている。
 7、8人というところ。
 悟空は素早く状況を判断し、少し意識を緊張させた。

「……ほぅ」

 そんな悟空の様子に、三蔵は辺りを見回し低く感嘆の声をあげた。
 春、といっても今日は空気が冷たい。しかも、ホテルの庭だ。人影など皆無に近かったのに、いろんな方向から黒っぽい服装の男たちがこちらに近づきつつあるのが目に入った。

 姿が現れるまえに、気配だけで悟空は気づいた。
 そして既に身構えている。
 さすがに光明が育てた娘というところだろうか。

 金色の瞳が、危険を目の前にして強く輝き出す。
 この瞳。
 可愛らしくはあるが、どこにでもいそうな普通の少女なのに。
 この瞳だけがこの少女を、他の少女たちと――いや、他のどんな人間たちとも、違う存在にする。

「離れててもいいですか?」

 近づいてくる男たちの存在に気づいた三蔵の様子を見て、悟空は一歩後ろに下がる。
 囲みから抜け出せそうな位置にと。

 動きから見て、男たちの技量はそれほどのものではない。
 そして、反応を見る限り、三蔵は一人でも大丈夫。
 だとしたら、無用に騒動を起こすべきではないだろう。

「そうだな。どうやら、俺への客らしい」

 微かに笑みを浮かべ、三蔵が一歩前に出る。
 悟空が退避しやすいようにと。
 意図を察し、三蔵の動きに合わせて悟空は素早く後ろに下がると、近くにあった木の枝に手をかけて、身軽に体を持ちあげた。

「……猿だな」

 自身の背よりもかなり高い位置にある枝に身を落ち着けた悟空に、三蔵が呟いた。

「失礼……っ」

 反論しかけた悟空の言葉が途中で止まる。
 三蔵の目の前に男たちが並んだのを見て。

「玄奘三蔵さんですね」

 男たちの一人が口を開いた。
 三蔵は冷たい目で男たちを一瞥したきり、答えようともしない。

「我々と一緒に来ていただきたい」

 会話が成立するとは最初から思っていないのか、男たちの輪が縮まる。
 が。

「……っ!」

 物も言わずに動いた三蔵に、最初に口を開いた男が地面に打ち倒された。
 鮮やかで、無駄のない滑らかな動き。
 なにが起こったのかと理解する前に、さらに2、3人の男たちが地面に沈む。

 綺麗。
 木の上で、悟空はその動きを見つめながら思う。
 姿もだが、動きも綺麗。
 なにもかも。
 髪の毛一筋にいたるまで綺麗。
 そんな人間がいるなんて、思いもしなかった。

 綺麗なものが見たかった。
 なるべくたくさん、綺麗なものが。
 そうすれば、自分が浄化されるような気がするから。

 そして。
 この人は本当に綺麗――。

 唇に笑みを浮かべ、ほとんど至福といった表情で悟空は三蔵を見つめる。

 が、その表情が一変した。
 三蔵に見とれていて気づかなかった。
 あと1人。
 先に現れた男たちとは違う男が、死角から近づいてきているのを。

「三蔵っ!」

 悟空は叫び声をあげた。