思ひ初めし花の色 (4)
パコン、と。
なんだかコミカルな音が、三蔵の背後でした。
振り向くと、思っても見なかった位置に、額を押さえた男がいた。
近くに転がっているのは。
黒い学生靴。
「三蔵っ!」
声がした。
目の端に、木から飛び降りる少女の姿が映った。
長い髪を揺らしながらこちらに向かって走ってくる。
悪くない、と思った。
そんな風に名を呼びながら、必死の表情でこちらに走ってくるのを見るのは。
場違いな笑みを微かに浮かべ、三蔵は複数の男たちからの攻撃を次々と受け流していく。
やがて駆けつけてきた悟空が、死角を埋めるかのように背後に立った。
背中越しに、悟空が男たちに立ち向かっている様子が目ではなく気配でわかる。
だが、その動きは気にはならないし、心配に思うこともない。
こんな風に、ただ任せておけば良いと思う相手は数少ない。
それほど、悟空の技量は高く、また三蔵もそれに劣らぬ動きをしていたので、男たちの全員が地面と友達になるのにそれほど時間がかからなかった。
「こんな人たちが出てくるなんて、日頃の行いがよっぽど悪いんですね」
息ひとつ乱さず、悟空は背後を振り返り、先ほどからかわれたことへの意趣返しのように言う。
「どうかな。ま、物騒なものを振り回さない分、こいつらは、まだ可愛い方だと思うぞ」
ふっと、三蔵が笑みを形作る。
その表情に、言っている台詞の意味は頭を素通りし、悟空は一瞬、息を呑んだ。
あまりに綺麗で。
先ほどの立ち回りでも、まったく平気だった心臓が早鐘を打ち出す。
「それにしても、お前、強いな。お師匠さま仕込みか?」
そんな悟空の様子をたいして気にかけるでもなく、靴を拾いながら、三蔵が言う。
「お師匠さまって、光明……の……?」
問いかけようとした悟空の言葉は途中で途切れた。
目の前に、片膝をついて靴を差し出している三蔵の姿を認めて。
簡単に人に頭を下げるような男には見えなかった。
それなのに、跪くとは。
もちろん、これは靴を拾ってくれたからだ、ということはわかっている。履かせてくれようとしているだけで、別に跪いて頭を下げているわけではない。
だが。
なぜかとても動揺して、悟空は、思わず一歩、後ろに下がった。
と。
地面に転がっている人間に、足を取られた。
「うわっ」
バランスを崩し、地面にと倒れ込む。
「なにやってるんだ、お前は」
呆れたようにそう言い、三蔵は立ち上がって悟空に手を貸そうとするが。
「……っつぅ」
悟空が顔をしかめ、微かなうめき声をあげた。
「足、ひねったのか?」
痛そうにしている、靴を履いていない右足を掴み、靴下を脱がせる。
「なにを?!」
反射的に驚いた声をあげる悟空を無視して、足の状態を見てから三蔵は顔をあげた。
「軽い捻挫だな。骨は大丈夫そうだ。とりあえず冷やした方がいい。それと……」
悟空の腕をとる。
手の甲に、地面にひっくり返ったときにできたのだろう、擦り傷ができていた。ポケットから取り出したハンカチを巻きつける。
「戻るぞ」
短く告げて、三蔵は悟空を抱き上げた。
「えぇっ? ちょっと、玄奘さんっ」
びっくりして、悟空は三蔵に抱きかかえられたまま、わたわたと身をよじる。
その様子を一瞬、こちらも驚いたような顔をして三蔵は見つめるが、すぐにその表情はもとのポーカーフェイスに戻る。
「三蔵でいい」
それからそう告げる。悟空の目が見開かれた。
「自分で覚えてないか? さっき、そう呼んでたぞ」
思い出したのか、悟空の目がますます大きく見開かれ、顔に赤みが差してくる。
それを見て、どこか満足そうな笑みを微かに浮かべ、三蔵は悟空を抱きかかえてホテルにと戻り始めた。