思ひめし花の色 (5)


 そして、見合いの二日後。
 悟空は三蔵を訪ね、会社の応接室にいた。
 見合い自体は、見合いの翌日――つまりは昨日――に、断りを入れていた。

 ――本当に良いのですか?

 そう聞かれたときの、光明の表情と声がいつまでも悟空の頭に残っていた。

 本当に良いもなにも。
 待たされている部屋で、悟空は自分の手をじっとみつめる。
 どうしようもないのだから。

「悪い、待たせたな」

 と、扉が開いて、声が響いた。
 反射的に声のした方を向き、悟空の心臓が大きく跳ね上がった。

 綺麗――。

 本当に綺麗な人だ。
 ずっと、ずっと見ていたいと思うくらいに。
 でも。
 これが、最後――。

 胸を駆け抜けていく鋭い痛み。
 ヘンだ、と思う。
 こんな風に胸が痛くなったり、ドキドキしたり、泣きたくなったり。
 泣きたく――。

 悟空は一瞬唇を噛み締めて俯き、それから浅くゆっくりと息を吐き出すと、顔を上げた。

「すみません。お借りしたハンカチなんですけど、血の染みが取れなくてなってしまって。これ、代わりのものなんですが」

 シンプルに包装してある小箱を差し出す。
 今日はこれを渡しにきたのだ。
 ちゃんと会って、染みが落ちなかったことを謝って代わりのものを渡しなさい、と光明に言われて。

「別に良かったのだが」

 そう言いながら、三蔵は手を出して受け取る。
 一瞬、指先が触れ合い、悟空の表情が少し動いたような感じがした。 

 昨日、断りの連絡が入ったことは叔母から聞いた。
 それを聞いたとき、胸の辺りがひどくざわついた。
 なぜ、と腑に落ちない気分になった。
 望んでいたわけではない。どうせ断るのに面倒臭いと考えていた、会うまでは。

 そう。
 会うまでは。

「これの礼に、メシでも食いにいかないか?」

 小箱を軽く持ち上げながら、三蔵は誘いの文句を口に出した。
 悟空が少し驚いたような表情を浮かべるのが目に入った。

「どこか行きたいところはないか?」

 我ながら、未練がましいことをしているのではないか、と思う。
 だが、なぜだろう。
 嫌われているとは思えなかった。そういう理由で断られたのではないのはわかっていた。
 むしろ、惹かれているはずだ。
 それはうぬぼれではなく、ただそうだ、とわかるのだ。
 その視線に、態度に、言葉の端々に。
 三蔵が悟空に惹かれるのと同じように、悟空もまた三蔵に惹かれているはずだ。

 そう、と認めるのに、三蔵は、たいして躊躇はしなかった。
 悟空が躊躇っているのには、なにか理由があるのだろう。
 今日、悟空が会いに来ると知らなければ、光明に直接、その理由を教えて欲しいと、迫っていたかもしれない。
 本当の理由を。
 すぐにわかるようなことではなく、たぶん、悟空はなにかしらの大きな秘密を抱えている――。
 それを知りたいと思った。
 できれば、悟空の口から直接。

「行きたいところが特になければ、近くにうまいイタリアンの店がある。そこに……」

 だから、畳みかけるように誘いの言葉を口にのせた。
 すぐに帰らないように。ちゃんと話が聞けるように。
 だが、悟空は言葉が耳に入っていないような様子をしていた。

「悟空?」

 呼びかけに、はっとしたように悟空の肩が揺れた。
 どうやら、聞こえていないというわけではないらしい。
 そう思って、もう一度、誘いの言葉を口にしようとするが、どこか、悟空の様子がおかしいことに、三蔵は気づいた。
 少し考え、そういえば、名前で呼んだのは初めてだということに思い当たった。

「悟空」

 確かめるようにもう一度、深みのある声で呼ぶと、震えるような眼差しが向けられた。
 澄んだ金色の瞳。
 そこに、自分の姿を認める。
 悟空が見ているのは、紛れもなく自分だ、ということがわかる。
 それは――。
 なんといったらよいのだろう。そのときに胸に溢れてきた感情を。
 悪い気はしない。
 むしろ、気分が高揚するような感じだ。

 三蔵は微かに笑みを浮かべた。
 それを見た悟空の頬に、朱の色が走る。
 可愛らしいその様子に、三蔵がさらに笑みを深くすると、悟空はぱっと顔を伏せた。

「どこか行きたいところでもあるのか?」

 さきほど悟空がなにか考え込んでいたことを思い出し、三蔵は問いかける。

「……行きたいところ、で思ったんだけど……でも、ご飯を食べに行くところじゃなくて……」

 躊躇うように、妙に歯切れが悪く、悟空が口をきく。

「どこだ?」

 聞くと、ポツリと答えが返ってきた。

「観覧車」