思ひ初めし花の色 (6)
悟空が行きたいと言ったのは、この春だけ期間限定で臨海地域にオープンした遊戯施設のなかにあった。
呼び物となっている巨大観覧車。
陽が暮れてから、そこから臨む夜景は素晴らしく綺麗だという。
「つくづく高いところが好きだな」
三蔵の言葉に悟空は当初はむくれていたが、目の前に宝石を散りばめたような夜景が広がると、感嘆の声をあげて窓に張りついた。
「綺麗。本当に綺麗。凄い綺麗だって聞いて見てみたいとずっと思ってたんだけど、光明にダメだって言われて、諦めてたんだ」
そこで三蔵に向き直る。
「あなたと一緒なら、光明もいいって言ってくれると思った。ありがとう、一緒に来てくれて」
「いや……」
三蔵は、微かに首を横に振り、また夜景に目を向ける悟空を静かに見守った。
本当は、聞きだしたいことが山ほどあった。
ここに来る前に、悟空は光明に連絡を入れていた。
行くなら、光明の許可を取らなければいけないと言って。
ただ単に帰りが遅くなるから、それについての許可だと思っていた。
だが、途中で電話を変わってくれと悟空に言われ、出た電話で。
――なにがあっても、あの子を守り抜く覚悟がないのならば、行かないでください。
そう光明に言われたのだ。
――本当に、なにがあっても、です。それは自分の命が危険にさらされても、という意味も含みます。その覚悟はありますか?
静かだが、本気の言葉だった。
光明は、ときどき冗談を言っているか、本気なのかわからなくなるような人だったが、この言葉に関しては、本当に本気で言っているとわかった。
そして、その言葉に対して。
――あります。
三蔵はそう答えた。
どんな危険なのか。
どういった理由なのか。
それは三蔵が予感していた悟空に関する大きな秘密に関わってくるものだと思ったが。
聞いても、なにも光明は話してはくれなかった。
だが、答えた言葉に嘘はない。
「……お前、よく飽きもせずに見てるな」
三蔵は少し呆れたように悟空に声をかけた。
じっと外の景色に目を凝らしているその様は、危険、という言葉とはまるで結びつかない。
「だって綺麗だから」
「綺麗、か。ただの電気だろうに」
「それでも綺麗だよ。なるべくね、たくさん綺麗なものを見たいんだ。そうしたら、少しでも自分が綺麗になれるような気がするでしょ?」
ふっと、悟空が自分の両手に視線を落としたのがわかった。
「……本当はそんなことないっていうのはわかってるんだけど、ね」
「悟空?」
静かに告げる言葉があまりにも儚げで、三蔵は思わず悟空の肩に手をかけた。
肩に置かれた手に、悟空は三蔵の方を振り返った。
「綺麗だね」
すでに頂上は過ぎ、地上に近くなっていた。窓に外の光が映り込み、三蔵の姿が浮き上がって見えた。
ほぅとため息をつくように悟空が囁く。
「あなたは本当に綺麗だ」
唇に浮かぶ笑みに、無意識のうちに三蔵は悟空の肩にかけていた手を背中にと回し、抱き寄せた。
「さ、さんぞっ?」
驚いたような悟空の声で我に返るが、抱き寄せた手を離すつもりはなかった。
ただそっともう片方の手で悟空の頬に触れ、顔をあげさせる。
見開かれた大きな金色の瞳に自分が映っているのが見えた。
自分だけが。
微かに笑みを浮かべ、三蔵はその目を覗き込むように顔を近づけていく。
あまりに驚きすぎているのか。
悟空は身動きひとつしない。
ただじっと、見開いた目で三蔵を見つめているだけだ。
もう互いの顔がよくわからなくなるほど近づいて、吐息がかかるほど近くに唇が寄ったときに。
突然、携帯が鳴った。
はっとしたように、悟空は三蔵を押しのけ、それから、体を反転させて三蔵に背を向けると、ポケットから携帯電話を取り出した。
「もしもし」
少しうわずった高めの声が悟空の口から漏れる。
「あ、光明? ううん。なんでもない。うん、大丈夫、なに?」
悟空の声が、観覧車の狭い箱のなかに響く。
「まさか。だって……」
どこか慌てたような口調が、突然、低い驚きの声に変わった。
「本当、なんだね。わかった。すぐ帰る。え? 大丈夫だよ、一人で。本当に大丈夫。いい、代わんなくても。すぐ帰るから。じゃ」
ほとんど強引、といった感じで、悟空は電話を切った。
ちょうど良いタイミングで、観覧車は地上に着く。
係員がドアを開けた。
「ごめん。急用ができたんで、帰る……いえ、帰ります。今日はありがとうございました」
外に出た悟空がペコリと頭をさげた。
「待て。家まで送っていく」
そのまま身を翻そうとするのを、三蔵は手首を掴んで引き止めた。
「大丈夫……」
悟空の言葉が途中で止まる。
人込みの中に何かを見出したように、視線が三蔵ではないところに向けられていた。
「悟空?」
三蔵の呼びかけに、悟空は我に返ったかのように三蔵に視線を戻す。
一瞬、まっすぐに三蔵をみつめ、それから。
「本当に大丈夫ですから。それじゃ」
掴まれた手を振り払うように駆け出していった。
「悟空」
それを目で追いながらも、三蔵は、さきほど悟空が見ていたあたりでなにごとか動きが起こったのに気がついた。
夜の遊園地には似合わないような輩が紛れている。
しかも、どうやら悟空を追っているらしい。
たいして考える間もなく、三蔵も悟空を追って走り出した。