思ひめし花の色 (11)


 白い部屋で、三蔵は目を覚ました。
 微かにあたりを漂う消毒薬の匂いで病院だとわかる。

「三蔵……」

 枕元で、声がした。
 視線を動かすと、そこに悟空がいた。
 ベッドのそばの椅子に座り、じっと三蔵をみつめている。
 さんざん泣いたのだろう。
 綺麗な金色の目は、赤く腫れていた。
 幸いにも、悟空が座っているのは怪我をした手の方ではない。
 手を伸ばして、その頬に触れた。
 また、涙が零れ落ちてきたので。

「泣くな。大丈夫だ」

 その言葉に、悟空は三蔵の手をとり、握りしめるようにして頷く。

「ごめん……ごめんなさい」
「謝ってもらおうと思ってやったことじゃねぇよ」

 もう一度、悟空は頷き、それから少し笑みを浮かべた。

「ありがとう、助けてくれて」

 呟くように言って手を離し、涙を拭う。
 そして、まっすぐに三蔵を見つめた。
 そうやって、まっすぐ人を見る姿にどうしようもなく惹かれるのだと、今さらながらに三蔵は思った。

「本当は、安静にしてなきゃいけないって言われたんだけど、巻き込んだからには、一応、話しておかなくちゃいけないと思って」

 ふぅっと決心をつけるかのように、悟空は息をつく。

「その前に、俺が男だって……知ってたと言ったよね? どうして、わかったの?」
「最初に会ったときに――あの見合いの日に、抱き上げたときにわかった。男と女じゃ、体の作りが根本的に違うからな。それに、仮にそのときにわからなくても、抱きしめれば、普通、わかると思うぞ」

 言われて、抱きしめられたときのことを思い出したのか、悟空の頬に朱の色がさした。

「――意外と、全然、気づかれないできたんだけど。女として育てられたのには、理由があるんだ。あまり詳しくは話せないんだけど、俺の血の繋がった祖父が、ここじゃない国で、裏で手広く商売をしていて」

 マフィアとか秘密結社とか、そういうものを思い浮かべてくれればいい、と悟空は続けた。
 その組織は、綿々とある一族によって運営されていたが、莫大な利益を生む裏の家業の総帥の座を巡って、これまで幾度となく血で血を洗うような抗争が繰り広げられてきた。
 現総帥の息子である悟空の父親はそれを厭い家を出た。だが、体に流れる血を変えることはできない。平穏な暮らしを望んでいただけだったのに、父親は悟空が生まれた頃、抗争に巻き込まれて亡くなった。
 悟空の母親は、生まれたわが子を思い、光明にと預けた。素性を隠して育ててもらうために。性別も変えて。
 だが、結局、数年前にその祈りもむなしく破れた。
 どこをどう調べたのか。
 悟空の素性がばれたのだ。
 悟空の父親は現総帥にとってはただ一人の息子だったので、悟空は現総帥の血を一番濃く継ぐものだった。
 組織の長い歴史のなかで、女性が総帥の座についたことは一度もない。
 だが、総帥の座を狙うものたちにとって、女性とはいえ目の上のたんこぶに変わりはなかった。
 だから、素性がばれてから、悟空は幾度か今回のような目に合ってきた。
 ただ、悟空の素性がばれるのと同時に、現総帥が孫娘に手を出したものには苛烈な報復をすると宣言したために、いつでも緊張していなければならぬというほどのものではなかった。そして、息子の二の舞にならぬようにと、現総帥は常に目を光らせ、怪しい動きがあると知らせてくる。
 そうやって、多少の緊張のなかにも、とりあえずの平穏は保たれていたのだが。
 つい先ごろ、その現総帥が病に倒れた。
 だから、光明は悟空の見合い話を進めたのだ。
 幸いなことに、悟空の性別が「男」であることはばれてはいなかった。戸籍上も「女」となっているのだから、無理もない。
 女性であれば、組織の外に嫁げば、もう組織とは関係のない人間とみなされる。
 形だけでも見合いをすることによって、組織に関わるつもりはない、と宣言したのだが。
 疑り深い人間はどこにでもいるようで。
 現総帥が病に伏していることで対応が遅れることを見越して、刺客を送りこんできた。

「祖父はね、持ち直したっていう連絡がさっき入った。しばらくはもう、こんなことはないと思う。今頃、首謀者の首が文字通り飛んでるだろうし」

 悟空は静かに告げる。

「ここは、祖父の息がかかった病院だから、その怪我について、あれこれ言われることはない。あなたがいない間の玄奘グループの運営については、光明がしっかりサポートするって言ってた。他にも、できる限りのことはするから、しばらくはその怪我を治すことに専念して。迷惑をかけて、本当にごめんなさい」

 深々と悟空は頭をさげる。
 考え込むようにしていた三蔵は、その様子を見て口を開く。

「お前が結婚すれば、命を狙われることもなくなるのか? だったら――」
「それは慣例であって、保証はどこにもない。だから、あなたはヘンなことは考えなくてもいいんだよ」

 三蔵の言葉を遮って、きっぱりと悟空は言う。

「ヘンなことじゃねぇだろ」

 もう一度伸ばされた三蔵の手を、悟空はそっととると、優しく、だが有無も言わさずにベッドにと戻した。

「同情なんかで、一生に関わることを決めると後悔するよ」
「同情じゃねぇ」
「じゃあ、なんだって言うの? 俺は男で、あなたも男なんだよ」
「そうだな。だが」

 三蔵が起き上がってくる。
 慌てて、悟空はそれを押し戻そうとするが、逆に抱き込まれてしまう。

「言っただろ? それは知っていたって。俺はお前という人間に惹かれれているんだから、それはあんまり関係ねぇよ」
「三……蔵……」
「お前は違うのか?」

 抱き込まれた腕の中。じっと綺麗なアメジストを思わせる瞳で見詰められ。
 悟空は視線をそらした。

「悟空?」
「……俺は、あなたにあげられるものを、なにも持ってない。安らげる場所を作ってあげられないし、未来も残せない」 

 俯く。

「この手は血で汚れてるし、この体に流れる血だってそうだ。今は祖父のおかげで平穏に暮らしているけれど、祖父は必ず俺よりも先にいなくなる。そうしたら――。俺という存在は、負担になるだけだ。いつか……いつか、重荷になって、三蔵が困るのが目に見えてる」

 そっと離れて、悟空は三蔵をベッドにと押し戻す。

「まだ体が相当辛いはずだよ。今は休んで。俺はもう行くから」
「悟空」

 立ち去ろうとする悟空に三蔵は声をかける。

「お前にも幸せになる権利はある」

 いつか聞いたのと同じ言葉。
 悟空は目を見開くが、何も言わず、淡く笑みを浮かべて、病室を出て行った。
 残った三蔵は、天井を見上げ、それからゆっくりと目を閉じた。