思ひめし花の色 (12)


 満開の桜の下を、悟空は歩いていた。
 光明と一緒に、この桜並木を歩いたのは、そんなに前のことではないのに。
 あまりに遠い昔のことのように思われた。

 ふぅ、と悟空はため息をつく。
 はらはらと舞い散る桜の花はとても綺麗。
 だが、毎年毎年、心躍らせて見ていたこの風景が、今年は少し色褪せて見えた。
 桜の美しさは同じはずなのに。

 もっと――。
 もっと、綺麗なものを知ってしまったから。
 本当に綺麗なものを。

 悟空は自分の手にと視線を落とす。
 手に入れることができないとわかっているからこそ、余計に綺麗だと感じるのだろうか。

 いや。
 そんなものではない、と思いなおす。
 本物だから。
 こんな感傷などで変わりようがないくらいの、本物の輝きを持っているから。
 だから、触れることは叶わない。
 こんな血で汚れた手では。

 あれから――病室で一度会って以来、悟空は三蔵に会うことはなかった。
 見合い話はそれよりも前に断っていたし、怪我をさせたお詫びはした。
 会う理由など、どこにもなかった。

 だけど、本当は。

 本当は――。

 会いたかった。
 触れたかった。
 ――抱きしめてほしかった。

 悟空は足を止めた。
 溢れくる涙を慌てて押しとどめる。

 三蔵――。

 考えれば考えるだけ、逆効果だということはわかっているが、考えずにはいられない。
 このままだと、声をあげて泣いてしまいそうなのに。

 三蔵――。

「呼ぶなら、声に出して呼べ」

 と、突然、声がした。
 顔をあげると、すぐ近くに金色の輝き。
 目の前に、本当にすぐ近くに、会いたくて会いたくてたまらなかった姿を見つけ、悟空の頭の中は真っ白になった。
 声を出すこともできず、ただ見つめるだけ――。

 三蔵の手があがり、頬にと触れてくる。
 それから、唇が寄る。
 顔をあげたときに、一筋零れ落ちた涙を掬い取り、ふわりと腕の中に抱きしめられる。
 あたたかな体温と、心臓の音。
 なによりも、ここにその人がいるのだと伝える。

「さ……んぞ……」

 呟いた名前に、三蔵の手がいっそう強く悟空を抱きしめた。
 どのくらいそうして抱きしめられていたのだろう。
 ざっと風が吹き、桜の花びらをいっせいに舞い上げた。散りゆく花びらは雪のように降りそそぎ、その美しさに道行く人の嘆息が聞こえ。
 はっとして、悟空は顔をあげた。
 ここは桜並木。
 往来の真ん中。
 急いで離れようとするのを三蔵に阻まれた。

「逃がさねぇよ」
「そう……じゃなくて、だって、ここ……。みんな、見てる」
「別に見ちゃいねぇよ。見てたとしても、構いやしねぇだろ」
「構う」
「そうか。ま、逃げ出す気はないみてぇだからな」

 三蔵の手が緩む。
 言われて、すっかり逃げることを失念していた悟空が、手が緩んだ隙に走り出そうとするが。

「ったく、今さら、遅ぇよ」

 手首を掴まれて、引き戻される。

「三蔵」

 手を離して。
 悟空は、そう言おうとうするが、三蔵が無造作にポケットから取り出したものを指に嵌められて、動きをとめた。

「三蔵、これ……」

 麗らかな陽射しを反射してまばゆく輝くもの。

「4月の誕生石はダイヤモンドだそうだ。気に入らなければ、取り替えてもらうが」
「誕生石って……」

 悟空は、呆然と左手の薬指をみつめる。

「これで婚約は成立だな。お師匠さまの許可はとうに取りつけてあるし」
「許可……? え? 婚約?」

 悟空は、指輪から、三蔵にと視線を移す。

「婚約……?」

 もう一度呆然と呟き、それからようやくその意味がわかったのか、はっとしたような顔をして指輪を外そうとする。
 が、その手を三蔵に止められた。
 今にも泣き出しそうな顔で、悟空は三蔵を見つめる。

「……言ったよね。俺には、あなたにあげられるものがなにもない。それどころか、あなたを危険に巻き込む可能性のが高い」
「別に安らぎが欲しいわけじゃねぇよ。俺が欲しいのは、一緒に戦える相手だ」

 三蔵の手が包み込むように悟空の手を握る。

「お前、この国では、銃を持つのに許可がいるって知ってるか?」
「それは……」

 悟空の目が微かに見開かれる。
 三蔵の手にあった銃を思い出して。

「俺の方こそ、お前に安らぎを与えてやれないかもしれない。ま、直接、お前が狙われるようなことにはならないと思うが」

 三蔵が悟空の手を引き、近くにと引き寄せる。

「お前、いろいろと考えすぎ。いったん、なにもかも、全部、忘れろ。そして、お前が欲しいものがなにかだけを考えろ。俺はとうにそうしてる」

 その言葉に悟空は息を呑む。

「よく考えてみろ。お前はどうしたい?」

 掴まれている左手が持ちあげられる。
 薬指に嵌められた指輪のうえに三蔵の唇が降りる。

「単純なことだろ? 一緒にいたいか、いたくないか、だ」

 唇は薬指に押し当てたまま、視線だけをあげて、三蔵が問いかけてくる。
 悟空は一瞬、震え。
 そして。

「……いたい」

 小さく呟いた。

「一緒に、いたいよ」

 その言葉に、三蔵は笑みを浮かべた。

「ようやく言ったな」

 柔らかく抱きしめられる、暖かな感触。
 一瞬、嗚咽にも似た声なき声に喉を震わせ、悟空は三蔵にと身を委ねた。

「でも……。でも、本当にいいの? だって、俺は本当に……」
「余計なことは考えるなって言っただろ。足りねぇ頭で、ごちゃごちゃ考えても無駄だ」
「……なんかヒドくない? その言い方」

 泣きそうだった悟空の表情が、むっとしたようなものに変わる。

「本当のことだろ」

 しおらしいよりも、よほどそちらのほうが悟空に合っている。
 楽しそうな表情を浮かべると、三蔵は悟空を促すようにして歩き出した。

「そういえば、お師匠さまが、赤飯だ、ご馳走だ、と騒いでいたぞ」
「え……。先に家に寄ってきたの?」
「そりゃそうだろう。行ったら、散歩だと言われたからここまで来た」

 悟空の顔に複雑な表情が浮かぶ。
 帰ったら、なんだかすごい騒ぎになっているのが目に見えるようだ。
 そんな悟空を見おろし、三蔵は笑みを浮かべた。
 それが目に入り、悟空の頬が淡く染まる。
 ふいに見せたその優しげな笑みが自分に向けられているのだと気づき、なんだか心臓が早鐘を打ち出す。

 可愛らしい反応に、三蔵は笑みを深くすると、手を伸ばして悟空と手を繋いだ。
 一瞬、驚いたような顔を見せるが、次の瞬間、悟空はすごく幸せそうな笑みを浮かべた。

 繋いだ手は暖かで。
 この先、なにが起こっても、大丈夫だと思える。

 そして。
 ――幸せになる権利がある。
 そういわれた言葉に、初めて心からそうだと思えた。

 歩きながら、どちらからともなく軽くキスを交わす。

 麗らかな春の陽射しに、咲き誇る桜の花の下。
 暖かな想いを胸に、二人は家路にと向かった。





最後までお読みいただきありがとうございます。
このお話は、れいこさまからの30001番のキリリクです。れいこさまからのリクエストは
「パラレルで『政略結婚』」
でした。
リクエストをいただいたのは昨年4月で…。うわぁ、もうちょっとで1年になってしまう。本当にすみません。猛省してます。ホントです。
それでもリクエストをクリアしていればまだ良かったのですが…えぇっと…隠れテーマのご要望は「ラブコメ」だったのですが…これ、全然、ラブコメぢゃないよ>自分。
ごめんなさい。毎度ながら(…おい)、キリリクって書いているうちに、ずれていってしまうのです。(言い訳)
ところで、パラレルなので男同士がOKでも、女の子悟空でも、ということだったのですが、割にビミョーな設定になりました。女の子は書けない…みたいです。
予想していたお話とはかなーり違うかと思います。気に入っていただけるかわかりませんが、れいこさまに捧げます。このたびは本当にキリリクをありがとうございました。

まりえ拝

といいつつ、おまけがあります。
興味のあるかたは「⇒こちら」からどうぞ。