39. 伝えたい事はただひとつ(3)


 なんだか眩しい。
 いきなり明るくなったような気がして、悟空は寝返りをうった。すると、腕が人に触れた。無意識のうちに身を寄せようとして……。
「!」
 びっくりして飛び起きた。
 感触がまるで違った。香りも。いつもの煙草の香りではなく――。
 見下ろすと、そこに琥珀がいた。
 昨日、雷が怖いと怯える琥珀を抱きしめてやっているうちに、安心したのかうとうとしだしたので、ベッドに運んだ。眠るまでついててやろうとして、自分も眠ってしまったらしい。
 で、一緒に寝ているということは、無意識のうちにベッドに入ったのだろうか。
 その辺はよく覚えていないが、重要なのはそこではない。
 眩しいということは、朝だということだ。
 悟空は青ざめた。
 夕食の後、三蔵に何も言わずに出てきて、一晩帰らなかったことになる。
「三蔵、怒っているだろうな……」
「当たり前だ」
 思わず口に出した言葉に答えが返ってきて、心臓が止まるかと思った。
「さ、さ、さ、三蔵?!」
 窓のところに三蔵が立っていて、こちらを見ていた。
 なんで? どうしてここに? 
 頭の中をいろんな疑問が駆け巡るが、驚きすぎて言葉にはならない。
「無断外泊のうえ、他の人間とベッドに入っているとは、な」
「ち、ちがっ!」
 一気に悟空の頬に熱が宿る。
 そんな悟空の様子に、三蔵はふいっと視線をそらすと戸口にと向かった。
「三蔵っ!」
 悟空はベッドから飛び降り、三蔵の方に駆け寄ると、その腕を掴んで引き止めた。必死の目で三蔵を見上げる。
「……バカ猿」
 三蔵の表情が少し和らぎ、悟空の頭に手が置かれた。
「帰るぞ」
「あ、うん……」
 悟空はほっとした表情を浮かべ、それから、琥珀の方を振り返った。
 大騒ぎ、と言うほどのことではなかったが、さすがに琥珀は目を覚ましており、ベッドの上に座って二人を見ていた。
「琥珀、昨日の花、ありがとう」
 それに悟空が声をかけた。
「あのね、俺たち、西へ向かっているんだ。妖怪が暴走した原因を断つために。それが終わったら、きっとお父さんは帰ってくる。だから……」
 琥珀の目が見開かれた。
「だから、もう少し待ってて。もう少し」
 琥珀の顔に微かな笑みが浮かんだ。
「ありがとうございます」
 そして、そう呟いた。

 雨上がりの朝の森は、爽やかな空気に包まれていた。だが、そんな朝の空気も、緑の濃い景色も楽しむ余裕はなく、半ば引きずられるように悟空は三蔵に腕を掴まれて歩いていた。
「三蔵、なぁ、三蔵ってば」
 先ほどから抗議の声をあげてはいたが、三蔵は聞く耳を持たず、ずんずん進んでいくだけだ。
「三蔵っ!」
 ようやく三蔵の足が止まった。
「もう、何、そんなに急いでるんだよ」
 だが、悟空の言葉は耳に届いていないようで、舌打ちの音とともに、いきなり悟空は抱き寄せられた。
「三蔵?!」
 驚きの声は覆いかぶさってきた唇で消された。
 予告もなく深く口づけられた。悟空の目が一瞬、大きく見開かれたが、抵抗することもなく、従順にその目は閉じられた。
 息継ぎのために、時々唇をずらしてはまた深く重ねるキスを繰り返しているうちに、三蔵の法衣を掴んでいた悟空の手から力が抜けた。同時に崩れ落ちそうになるのを、三蔵が手を出して支えた。
「さんぞ……、いきなり、なんで……」
 三蔵の腕のなかで、悟空が呟いた。
 西への旅が始まってから、二人っきりで過ごす時間が減った。
 だから、今、二人でいる時間をもう少しゆっくり味わいたいと思っていた。
 だけど、こんな――。
「昨日はお預けを食らったんだ。少しくらいいいだろう」
 お預け?
 悟空の頬の赤みが更に増した。
「そんなの、だって――!」
「お前は誰のモノだ?」
 わたわたと言い募ろうとした悟空の言葉を、三蔵が静かに遮った。
 深い紫暗の瞳。その瞳に見つめられただけで、もう動けなくなってしまう。
「悟空?」
 そして、その低い声で名前を呼ばれれば。
「……三蔵の……」
 微かに震える声で悟空が答えた。
「三蔵のモノ……」
「じゃあ、いいだろう。何をしても」
 もう一度、唇が近づいてきた。
 三蔵のモノ。
 そう思う度に、身のうちを歓喜にも似た戦慄が駆け巡る。
 何もかも、甘い感覚に身を委ねようとしたとき、悟空は視界の隅に動くものを認めた。
 琥珀だった。
「琥珀?」
 思わず三蔵を押しのけて、走り去る後姿に声をかけた。
 追おうとするが、三蔵に捕まえられた。
「どこへ行く」
「だって、琥珀が……」
 悟空は三蔵を見上げた。
「まさか、三蔵、琥珀がいるのをわかってて」
 三蔵は何も答えない。ただ、不機嫌そうな表情を浮かべただけだった。
 その表情を見て、悟空は混乱した。
 よく考えずに、あぁは言ったものの、琥珀は三蔵の後ろにいたのだ。だから、三蔵からは見えなかったはずだ。でも……。
 三蔵の様子を見ていると、わかっていたのではという気がしてくる。
 わかってて、キスを仕掛けてきたのだろうか。
 何のために?
「別れはさっきすませただろう。他に言うことがあるのか?」
 聞こえてきた言葉に、悟空は改めて三蔵を見、それから俯いた。
 そう。確かに別れは告げた。伝えたいことも言った。だから、それで終わりのはずだ。
 だけど――。
 頤に手がかかり、顔を上げさせられた。三蔵の唇が近づいてくる。
 ゆっくりと目を閉じながら、なぜか、悟空は心の奥に痛みを感じた。