39. 伝えたい事はただひとつ(4)


 結局、あの後、三蔵は軽く悟空の唇に触れて、すぐに解放した。
 そしてそのまま、何も言わずに町への道を辿り始めた。
 悟空はただ黙って、その後をついて歩いた。
 琥珀のことについて、はぐらかされたような気分がしていたが、かといって、三蔵に向かって何と言ったらいいのかわからなかった。
 三蔵は琥珀が嫌いなの?
 なんだか、それすらもよくわからなくなっていた。
 会ったばかりで、ろくに言葉も交わしていなくて、好きも嫌いもない。
 たぶん、聞いたら、そういう答えが返ってくると思う。
 そして、その言葉に嘘はないはずなのに。
 何かあるのかもと思うこの違和感はどこからくるのだろう。
 だけど、その違和感を言葉に表すことができなくて。
 だから、三蔵に聞くこともできなくて。
 ただ、三蔵が遠い。
 そんな風に感じる。
 すぐそばにいるのに。こんなに近くにいるのに。
 でも。
 いつまでたっても、本当には三蔵のそばに近づけてもらえない。
 そう思い知らされているようだった。
 身も心も全て、三蔵の一番近くにいたいのに。
 悟空は唇を噛みしめた。
「あ、三蔵。良かった、探しに行こうかと思ってました」
 八戒の声が聞こえてきた。
 顔をあげると、いつの間にか宿屋の前まで戻ってきていた。
 ふと意識が自分の奥底から浮上し、悟空の耳に今までまったく入っていなかった辺りの喧騒が聞こえてきた。
「何かあったのか?」
 よくないことを予感してか、微かに眉をひそめて三蔵が八戒に訊いた。
「昨日の雨でこの先の道が土砂崩れを起こしたそうなんですよ。今、町の人たちが復旧作業を行っていますけど、今日の出発はちょっと無理だと思います」
「他に道は?」
「西に向かうにはそれしか。町の人たちにとっても重要な道なので、たぶん明日には通れるようになるということですけど。とりあえず、もう一泊するように手配はしました」
 何か考えるかのように、三蔵が沈黙した。
「さんぞ?」
 なんだか長い沈黙に、悟空が不思議そうな声をあげた。
 そんなに考え込むようなことがあるのだろうか。
 と、突然、悟空は三蔵に腕をとられた。
「三蔵、何?」
 引っ張られて、宿屋の中に連れて行かれる。驚いて見上げると、三蔵は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 雨で道が通れなくなるなんて、よくあることだ。事実、この旅が始まってから何度あったことか。なのに、なんで三蔵はこんな顔をして、しかも自分の腕を掴んで宿屋の中に入っていくんだろう。
 悟空は混乱して、何が何だかよくわからなくなってきた。ただ、掴まれた腕が痛かった。
「三蔵、どうかしましたか?」
 三蔵の行動は八戒にとっても予想外だったらしく、いささか面食らった様子で後からついてきた。
「三蔵?」
 八戒がもう一度声をかけたが、三蔵は振り返りもしなかった。
 やがて三蔵は部屋の前に立つと、無言のまま扉を開け、腕を引いて、ほとんど放り投げるかのように悟空をベッドに沈めた。
「さ、三蔵っ?!」
 覆いかぶさってくる三蔵に悟空は驚愕の声をあげた。
「何を……?!」
「決まっている」
 抗議の声は、キスで封じ込められた。
「さんぞ……や……」
 伸しかかられて、体の自由がきかない。顔を背けて抵抗しようとするが、すぐに追いつかれて唇を塞がれる。
「やだ……こんな……の、八戒が……」
 まるで何もかも奪いつくすかのような激しいキスに悟空の目から涙が零れ落ちる。
 と、何事か呟く声がして、パタン、とドアの閉まる音がした。
「ここには、誰もいない」
 触れるだけのキスに変えて、三蔵が言う。軽く、柔らかく何度も触れてくる。悟空の大好きな優しいキス。
「もっとも誰がいても構わないが」
 普段ならば、安心できて体から力が抜けていく。
 でも、今は……。
「や……」
 抵抗しようとするのを妨げるかのように唇を柔らかく食むように刺激された。
 ゾクゾクとした感触が背中を駆け上がってくる。
「三蔵、変だ……よ、こんな……」
 何度も降りてくる唇の甘い刺激に翻弄されながらも、悟空は必死で手を突っ張って、三蔵から逃れようとする。
「三蔵っ!」
 そして、ほとんど悲鳴のような声をあげて、振り解くようにして、ようやく身を離した。
 肩で息をして、目には涙を浮かべて。それでも、悟空は三蔵をきっと睨みつけた。
「何でだよ、何で、こんなこと」
「昨日、お預けを食らっているから……」
「違うっ!」
 悟空は三蔵の言葉を遮った。
「そんなんじゃない」
 そんな単純な理由ではない。
 だって、それならばもっと優しくしてくれるはず。無理やり求められることもなくはないが、それでも今回のは違っていた。
 何か、気をそらせたいことがあるのだ。だけど。
「でも、言ってくんなきゃわかんない。何で?」
 悟空の問いかけに三蔵からの答えはない。
「ねぇ、三蔵。言ってくれなきゃ、わかんないよ。どうして、こんなことするの?」
 再度重ねて問いかけても答えがないことに、悟空の目に別の涙が浮かんでくる。
「どうして、いつも、いつも、何も言ってくれないの? 俺が子供だから、わかんないって思ってるの?」
 パタパタと零れ落ちる涙を拭いもせずに、悟空はまっすぐに三蔵をみつめる。だが、三蔵は沈黙したままだ。
 やっぱり、近づけてはもらえない。
 悟空の胸に絶望が広がっていく。悲しくて、切なくて、目の前が真っ暗になっていく。
 こんなにも、近づきたいと思っているのに。
「三蔵なんて……、三蔵なんて……」
 悟空の顔が歪んだ。
「大っ嫌いだ!」
 自分にとっても痛い言葉を投げつけて、音を立てて悟空は部屋を飛び出した。