39. 伝えたい事はただひとつ(Epilogue)


「悟空、少し休んだらどうです?」
 宿の一室。ベッドに横たわる三蔵を、悟空は身じろぎもせずにじっとみつめていた。
 その悟空を見かねて、八戒は声をかけた。
 そうしてもう丸二日も悟空は三蔵のそばに座っていた。
「大丈夫」
「でも……」
「三蔵が目を覚ましたときに、そばにいたいから」
 悟空は八戒を見上げた。その目は、今はもう落ち着きを取り戻していた。
「八戒こそ、休んで。三蔵を治すのに凄く体力を使って、まだ本調子じゃないでしょ?」
 結局、悟空が何もできずに三蔵を抱きしめているところに、いつまで経っても帰ってこない悟空を心配した八戒と悟浄が駆けつけてきた。
 悟浄が誰の言葉も耳に入らない様子の悟空を三蔵から引き離し、八戒が三蔵の傷を塞いだ。三蔵の傷は深く、出血も酷かったが、どうにか一命はとりとめた。
 間に合って良かった、と八戒は思った。
 あのまま三蔵が命を落とすようなことにでもなっていたら、たぶん悟空も――。
 八戒は自分を見上げる悟空に微笑みかけた。
 今は二人にしておいてあげよう、と思った。
「じゃあ、行きますけど、何かあったら、僕でも悟浄でも呼んでくださいね」
 八戒の言葉に悟空は素直に頷いた。
 パタンと音がして扉が閉まった。悟空は三蔵の方に向き直った。
 手を伸ばして三蔵の髪に触れる。
 ふと、琥珀のことを考えた。
 ありがとう、と言っていた。だから、きっと最期は不幸ではなかった。そう思いたかった。
 三蔵の意識が回復するのを待っている間に、いろいろなことがわかってきた。
 大半は琥珀に関すること。
 町の近くの森の外れに妖怪の親子が住んでいたことは事実だったが、親がいなくなってしばらくした後で、子供は亡くなっていた。
 病気だったのか、事故だったのか。それはわからない。
 ただ、町の人間が手を下したとかそういうことではなかった。もし、そうだったら、きっとやるせない気持ちになっていただろう。
「じゃあ、俺らが会ったのは幽霊? でも、全然わからなかったけど」
 その話を聞いたときに悟浄が言った。
「あの植物が関わっていたんだと思いますけど。古代の植物には不思議な力があるといいますし」
 八戒がそう結論づけた。
 おそらく、それは正しい。
 琥珀が消えた後、あの『紫金花』も枯れた。お互いに何か依存しあっていたのだろう。
 そんな琥珀のことを、三蔵はたぶん気付いていた。本当はもうここにはいない存在だということを。
 そして、誰かを待ちわびている目。それにも気付いていた。
 待って、待って、待っていたのに、誰も来なくて、一人寂しく死んでしまったことを、悟空に知らせたくなかった。
 だから、遠ざけようとした。
 なのに、そんなことに気付きもせずに。
 酷い言葉を投げつけた。
 いつだって、三蔵は優しいのに。どんなに冷たく見えても、その奥に潜んでいるのは、自分を気遣ってくれる優しい気持ちなのに。
 わかっていたはずなのに。
 三蔵。
 悟空は心の中で三蔵に呼びかけ続けていた。
 三蔵、早く、目を覚まして。
 大嫌い、なんて、嘘。
 謝らせて。あの言葉を打ち消させて。
 本当は――。
 ただ、ひとつの言葉。
 伝えたい本当の気持ち。
 あなたからの言葉を待つのではなく。
 あなたがわからないと泣くのではなく。
 自分がどう思っているのか。
 それを伝えさせて。
 だから、早く目を覚まして、三蔵。
 悟空は腰を浮かせると、そっと三蔵の唇に触れた。

 伝えたいことがあるんだ。
 だから、早く目を覚まして。

 三蔵の睫毛が微かに震えたような気がした。
 悟空の顔に笑みが浮かんできた。

「三蔵」
 悟空は囁いた。


 伝えたい事はただひとつ――。