03:明日またね


 三蔵が離れていくのを見ているうちに、悟空の体から力が抜けた。立っていられなくなって、その場に座り込む。
 三蔵に掴まれた手を見た。
 まだ、その感触が残っている。そして、あの目。間近に迫った紫暗の綺麗な目。
 三蔵と手をつなぐことは大好きだった。
 だが先程、三蔵に手を掴まれたとき、心臓が跳ね上がった。
 びっくりした、というのとはちょっと違う。
 強いて言うなら――震えるくらいの歓喜。
 あの目に見つめられて、その手に捕まえられて、そのままずっと――。
 ずっと?
 ずっと、どうしたいのだろう。
 自分の中に渦巻く感情が、自分のものでありながらよくわからない。
 ただ、優しく温かなものではないことだけは確かだった。三蔵のことを考えると、陽だまりのような心地よさを覚えていたのに。
 狂おしいほどのこの感情は何?
 どのくらいそうやって自分の一人の考えに沈みこんでいたのだろう。目の前に影がさして、悟空は顔をあげた。
「さんぞ……」
 煙草をくわえた三蔵が目の前に立っていた。顔をあげた悟空に、懐に手を差し入れて取り出したものを放った。
 慌てて受け取り、手の中のものを見て悟空が呟いた。
「煙草……」
 三蔵が煙草を寄越す。それは――。
「出かけるの?」
 悟空が初めて留守番をする時に、三蔵は悟空に煙草を渡した。置いていかれることを不安がる悟空に、それを取りにちゃんと戻るからという約束を与え、三蔵に染み付いている匂いで安心させるために。
 それ以来、三蔵は出かける時にはこうやって煙草を置いていく。
 煙草なんて買えばすむことも、煙草の匂いがそのまま三蔵の匂いにならないことも、今ではわかっている。
 だが、一種のお守りのようなものだった。
「近くだ。明日には帰る」
「俺も行く」
 悟空は立ち上がった。このところ、付近の治安が良くなかった。
 胸の中を渦巻く感情は消えていなかったが、三蔵を一人で行かせるわけにはいかない。
「先方からお前は連れてくるなと言われている」
 一瞬の躊躇いの後、三蔵はそう言った。その言葉に悟空の表情が強張った。
 忌み嫌われるのは初めてのことではない。穢れた存在だと言われ続けてきた。
 どうしてそんな風に言われるのかわからなかった。だがもしかしたら、今、この胸に渦巻くこの感情のせいなのかもしれない。こんな想いを抱くことが――。
「悟空?」
 名前を呼ばれて、悟空はいつの間にか俯けていた顔をあげた。と、三蔵の手が自分に向かってくるのが見えた。慌てて身を引く。
 三蔵は手を止め、怪訝そうな表情を浮かべた。
「だって、汚れるから……」
 悟空が呟くように小さな声で言う。三蔵はますます怪訝そうな顔になった。
「いつものことだろ、砂まみれなのは」
「そうじゃなくて!」
 思わずムキになって答えようとする悟空の不意をついて、三蔵はぽんぽんと悟空の頭を叩いた。
 悟空は目を見開いた。
 それだけで『大丈夫だ』と言われたような気がした。何があっても許してくれるような気がした。心が静まっていく。
「八戒ンとこに行ってろ。明日、帰りがけに迎えに寄ってやるから」
 三蔵はそう言うと、踵を返した。
「それ、食うなよ」
 という一言を加え、その場を去っていく。
「毎回言わなくてもわかってるよ」
 悟空は三蔵の背中に向かって言うと、手の中の煙草を見つめた。
 明日、迎えにきてくれる。
 言葉よりも確かな約束がそこにあった。