07:慈雨


 小坊主を追って外に出た三蔵は、軽く顔をしかめた。
 雨が降っていた。
 いつのまに降りだしたのだろう。気がつかなかったのも無理はないかもしれない。それは霧のように軽い雨で、空も雲がかかっているとはいえ明るかった。
 三蔵の金糸のような髪が水を含んで額に張りついてきた。煩わしげに手で払いのける。
「雨、苦手でしたよね」
 静かな声がした。
 三蔵は声のした方に銃を向けた。そして、そのまま動きを止める。
「綺麗でしょう」
 満開の花の下に小坊主が立っていた。薄い黄色でところどころにピンクがかった八重咲きの花。薄明かりに照らされて、花自体が輝いているかのようだ。
「この寺が建立される前からこの地にあった桜です。本当でしたら、この時期に咲くものではないのですけれどね」
 幹に手をかけ、小坊主は花を見上げる。はらはらと光が舞うように、微かな風に花びらが舞い落ちてくる。
「綺麗だとは思いませんか?」
「花は花だ」
 ガチッと親指で撃鉄を起こし、狙いを定めて三蔵が言う。小坊主は三蔵に視線を戻した。
「綺麗な花を愛でる余裕をお持ちではないのですか、玄奘三蔵さま。あの子供が教えてはくれませんでしたか」
「お前……」
 四季折々の花を、誰よりも早く見つけ出しては三蔵に届ける。拾ってきてからずっと悟空がしてきたこと。
 綺麗だろ。
 そう目を輝かせて、花を差し出す。
 師の経文を取り戻すため、ずっと殺戮の中に身をおいていた。望んだことではなかったが、自分が生き延びるために何人もの命を奪ってきた。
 その生きるか死ぬかのギリギリの状況で、花が綺麗だということすら忘れていた。忘れていたことさえ、わかっていなかった。
「ずっと見てきましたから。玄奘三蔵さま。あなたを、そしてあの子供を」
 小坊主の顔に慈愛に満ちた微笑みが浮かぶ。それから、空を見上げた。
「我らにとっては、恵みの雨です。このところずっと降っていませんでしたから。でも、あなたにとっては、未だに消えぬ傷を思い出させるもの」
 三蔵の目が険しくなった。
「あの子供の力は強大です。あまりにも強い力は周囲に影響を与え、その影響はやがて自分にと返ってきます。玄奘三蔵さま、そのときに、あなたにはあの子供が守れますか?」
 射抜くようにまっすぐに小坊主の目が三蔵を見た。
「また、守れなかったと泣きたくはないでしょう。あの子供を手放してください」
 三蔵の顔に人を小馬鹿にしたような笑みが浮かんだ。
「もともと守るつもりなんかねぇよ」
 欲しかったものは、守らなくても良いもの。
「それよりもさっきから何度も言っているだろう。本人に直接言えと。あいつが自分から出て行くのをわざわざ止めはしねぇよ」
「それは無理です」
 即座に返ってきた答えに三蔵の眉間に皺が寄った。
「あなたが引き止める、というのではありません。あの子供が自分からあなたの元を去るなんて、ありえません」
「やけに断定的だな」
 小坊主は透明な微笑みを浮かべた。
「ずっと見てきたと言ったでしょう」
 優しい雨が、包み込むように降り続いていた。