14:正しくない愛し方
広くもない寺院に、一般常識から外れた世界に、閉じ込めておくのが良いことだとは思わない。むしろ、子供にとっては有害な環境なのかもしれない。
いくら、そばにいて、と言われても。
いくら、置いていかないで、と言われても。
本当だったら、どこかに里子に出すなり、施設に預けるなりした方が子供のためだ。
こんな敵意や嘲りの視線のなかに置いておくよりは。
素直で純粋な子供は、不吉だと言われるその金色の目にも関わらず、時々遣いに出す長安の町では人気があることを知っている。よく食べ物を貰っては、嬉しそうな顔で帰ってくる。
だから、こんな偏見に満ちた閉鎖された空間でなければ、どこに出しても、きっと可愛がられるだろう。
そして、会いたいというのならば、寺院に遊びに来ればいいのだ。好きなときに。
今でも仕事が忙しいときはほとんど構っていないのだから、同じことだ。
そう、思う。
そうは、思う。だが、自分から手を離すことはできない。
あの金色の瞳に捕らわれている。もう、ずっと。
いつからか、はもうわからない。
初めてあの瞳を見たときからかもしれない。
夜、声もあげずにただ涙を流すその悲しげな瞳を見たときからかもしれない。
それとも自分を見たときにだけその瞳がぱっと輝くのだと気付いたときか。
きっかけを捜しても意味はない。
自覚したときには、もう手離せなくなっていたのだから。
そして、閉じ込めた。自分のそばに。自分だけしか見るもののない世界に。
それが正しくないことは知っている。
己のために生きて、己のためだけに死ぬ。
そう決めたことに矛盾することも知っている。
だが、どうしようもない。
あの金色の瞳。
吉凶の源とされる金色の瞳。だが、きっとそれは、その瞳を持つ人間には預かり知らぬことなのだ。
その瞳があまりにも純粋で綺麗すぎて、人の心を惑わせたとしても、それは惑わされた人間のほうに罪がある。
美しい花が、ただ咲いているだけで人の心を騒がせたとしても、ただ咲いているだけの花に罪はないように。
綺麗な花を責める人間などいないだろう。
それと同じように、美しい金色の目をした子供も責められるべきではない。
手に入れたいと願うのは、己の心なのだから。
だが、せめて、子供の自由だけは残しておいてやりたかった。
子供が自分から手を離そうと思ったときには、離れていくだけの自由を。
あんな風にすがりついてくる子供を、閉じ込めて自分のものだけにすることは容易いように思えた。
だけど、それはできなかった。
手を離せないのと同じ強さで、閉じ込めてしまうこともできなかった。
何度もそうしようと思ったことはあったが。
己の中の矛盾する心。曖昧なその有り様。
ただ、何もかもが正しくないことだけは確かだった。