16:後始末


 三蔵が目を覚ますと、そこは寝台の上だった。反射的に起き上がろうとし、体中を襲う痛みにうめき声をあげた。
「三蔵さまっ!」
 と、みるみる周囲が騒がしくなった。四方八方から容態を気づかう声がする。
「うぜぇ」
 目を閉じて片手を額にあて、呟くように言う。目が回って気分が悪いのに、そのうえ周囲で騒ぎたてられたらたまったものではない。
 三蔵の声はそんなに大きなものでもなかったが、最高僧のお言葉の威力は絶大で、僧達は口を閉じ、いきなり静かになった。
 三蔵は、ふっと息を吐くと閉じていた目を開けた。そして周囲を見回す。
 いつもなら真っ先に騒ぎ立てる筈の姿がない。
 そう考え、そういえばここは慶雲院ではないことを思い出した。
 ずっと悟空のことを考えていたので、混乱しているらしい。そういえば、あの泣きそうな聲はもう聞こえてはいなかった。呼ぶ聲が消えたわけではないが、先程よりも少し弱まった。八戒の家についたのだろう。
「三蔵さま……」
 そっと、遠慮がちな声がかけられた。三蔵はその声の方に視線を向けた。
「この度はありがとうございました。本当にお礼の申し上げようもありません」
 そこには白い鬚をたくわえ、顔に深い皺を刻みつけた老人がたっていた。この寺の僧正だろう。
「別に。降りかかる火の粉を払っただけだ」
 三蔵にしてみれば本当にそれだけのことだったが、言い方のせいか素っ気なく響いた。
 だが、老僧正は気にした風もなく言葉を続けた。
「ご迷惑ついでに、もうひとつ、お願いしたいことがあるですが」
 三蔵は嫌な顔をした。
「明日、あの桜のために経をあげていただきたいのです」
「何で、俺が」
 即答する。
「お恥ずかしい話ですが、三蔵さま。我らにはあれを鎮めることはできませんでした。三蔵さまに見送っていただければ、あれも喜ぶかと思います」
 三蔵は、寝台の上で身を起こした。
「俺の手で葬ったんだぞ。喜ばねぇよ。それに、俺は帰る」
「それは無理です」
 立ち上がろうとする三蔵に、周囲の僧達が色めきたった。だが、老僧正が三蔵を押し留めた。
「今は動けないでしょう。せめて明日までは安静になさっていてください。そのようなお体では途中で倒れてしまいます」
 三蔵は反論しようとして、舌打ちすると、もう一度寝台に身を横たえた。
 老僧正に言われなくても、今すぐ動くのが無理なのはわかっていた。
「三蔵さま、重ねてお願い申し上げます。あの桜のために読経をしてください。最後にあなたさまの手にかかることがあれの望みだったような気がしますので」
「……あの桜の精を知っているのか?」
「この寺にいるものならば、一度は見ています。満開の桜の下に佇む青年の姿を」
「青年? 俺が見たのは子供だったが」
 三蔵が訝しげな声をあげた。
「少年の姿をしているときもあるそうです。非常に稀で、わたしの代になってからは見たことはありませんが……」
 三蔵は目を閉じた。
 何かひっかかった。だが、それは後だ。とりあえず今は眠って、体力を取り戻すのだ。でないと、明日も出発できないだろう。出発できないとなると――。
「俺は寝る。全員、この部屋から出て行け」
 三蔵は目を閉じたまま、そう告げた。
 見てもいないのに、僧達は一礼して部屋を引きあげていった。
 後には静寂だけが残った。