24:君に合う花


 ――泣くな。
 突然、聲が聞こえてきた。
「わっ」
 と、同時に、足元にあった何かにつまずいて、悟空は大地にと倒れ込んだ。
 顔をあげると、目の前に、本当に目の高さのところに、濃い紫の花があるのが飛び込んできた。
 紫。
「三蔵の目の色だ……」
 思わず呟き、するりと意識することなく出てきた名前に、自分でもびっくりする。
 さっきまで、思い出せなかった名前。
 それが今、当たり前のように口にできる。
「さんぞう……」
 確かめるかのような悟空の呟きが、辺りに、たいそう幼く、頼りなげに響く。
 見つめている視線の先は紫の花。その花に溶け込むようにして消えていくのは――『過去』
『現在』を思い出した途端に遠ざかっていく影。
 もしかしたら、取り戻せていたかもしれない記憶。大好きだった人たちとの思い出。
 本当に大好きだった。
 だけど。
 くしゃりと歪んだ顔は、だが、泣くことはなく、代わりに唇が引き結ばれた。
 泣くな。
 そういう聲が聞こえたから。
 その聲を選んだのだから。
「ごめんなさい……」
 小さく、小さく悟空が呟く。
 ごめんなさい。本当に大好きだった。もうその姿はおぼろげにしかわからないけれど、その気持ちだけは本当だったと言える。
 なのに。
 聲が聞こえたときに、強く強く思った。
 その人だけなのだと。
 その人だけが全てなのだと――
 気がついてしまった。
 何をも犠牲にしても、何をも切り捨てても、その人のそばにいたいのだと。
 こんな身勝手な感情。
 そんなものが自分の中にあるとは思わなかった。
 そのことに、泣きたい気持ちになった。
 好き、という感情は、いつでも自分の心の中にあった。
 優しく、暖かい、陽だまりのなかにいるような感情。
 でも、これはそれとはまったく違う。
 何よりも大切。
 何よりも特別。
 特別に、好き――。
「三蔵……」
 花を見つめ、涙を堪えながら、悟空は呟いた。