26:邪魔モノ


 何もない空間に、艶やかな黒髪の青年が佇んでいた――というよりも、浮いていた、と言ったほうが正しいだろうか。
 異様な光景にも関わらず、なぜかその青年の姿は、そういった異常さを感じさせるものはなかった。
 ふっと、青年が短くため息をついた。
「そろそろ、姿を見せたらいかがです?」
 独り言のような、決して大きくはない声が響いた。
 と、それに答えるかのように、ゆらりと、陽炎のように、空間が揺らめいた。
 さざめく波の間から姿を現すかのように、徐々に人の形がはっきりとしていく。やがて薄布を纏った、一人の美女が姿を現した。
 否。
 一見、女性のように見えるが、女性ではない。
「天界に住まうお方が、なぜここに?」
「面白そうなことをしているのが目に入ってな」
「見世物ではありません」
 ぴしゃりと青年が言い放つ。
 そのはっきりとした物言いに、観世音菩薩は鈴を転がすような笑い声をたてた。
「そう、とんがるな」
「そういうわけではありません。ただ――」
 青年は、静かに瞳をふせた。
「ここは生と死の時の狭間。時を超越する天のお方にとっては意味のない場所。あなたにとっては、生も死も、遠い出来事のことでしょうに」 
「だが、神にも生や死はある」
 ふいに笑いを収め、静かに観世音菩薩は告げた。
 瞳をあげた青年と観世音菩薩の視線が合う。
 しばらくはどちらも口を開かない。
 相手の出方を窺っているわけではない。
 見つめあっている、というわけでもなく、ただ静かに互いの姿をその目に映すだけ。
「気になるのですか? 天界であなたとご縁のあった人間が」
 やがて静かに青年が口を開いた。
「別に気になっているわけじゃねぇよ」
「ですが、いつもご覧になっている」
 その言葉に観世音菩薩の答えはない。ただ淡く微笑みを浮かべるのみだ。
「あなたが何を思い、何をしようとしているのは知りませんし、興味もありません。ですが、ここで手出しをするおつもりでしたら、こちらにも考えがあります」
「邪魔立てはするな、ということか?」
「はっきりと言えば」
「遠まわしに言っても一緒だろう」
 クスリと観世音菩薩は笑った。