33:雪日和


 岩牢から悟空を連れ出してから最初の冬。
 朝からどんよりとした曇り空が広がり、ひどく冷え込んでいたが、三蔵が執務室に入ると、悟空はいつものように外へと遊びに出かけていった。
 枯れ野原となった外に、何か楽しいものがあるとは思えなかったが、それでも、敵意と侮蔑の目を向けられる寺院の中にいるよりはマシなのだろうと考えて、三蔵は悟空の好きにさせていた。但し、暖かい格好はさせて。
 暑さも寒さも知らない岩牢の中にいたせいか。時々、悟空はとんでもない格好で外に出ようとする。
 この間も、もう寒くなっているとわかっているはずなのに、上着も着ずに外に出ようとしていたので、盛大にハリセンを叩きつけてやった。
 少しは学習しろ。
 そう何度も言っているのだが、その言葉の意味がちゃんと伝わっているのか、甚だしく疑問だ。
 一度、痛い目を見たほうが良いのかもしれない。
 寒いということを実感させたほうが。
 だが、風邪でもひかれたら。
 風邪をひくこと自体は自業自得、と同情する余地もないが、何のかんのと面倒を見なくてはいけないのは、三蔵なのだ。この寺院の坊主どもが、日ごろ目の敵にしている悟空の看病をちゃんとするとは思えない。とすれば、余計な手間が増える。それは避けたい。だとすると、やはりハリセンを振るうしかない。
 それは事実ではあったが、どこか事細かに世話を焼いていることに対しての言い訳じみていた。それに気づいてないわけではなかったが、三蔵はあえてそのことを考えないないようにしていた。
 まったく、あいつが静かだと仕事が捗る。
 しんと静まり返った執務室のなか、誰に邪魔をされるでもなく書類を捌いていた三蔵は、 途中、小坊主の淹れた茶を啜りながら休憩を入れ、ほっとため息をついた。
 この分だと思ったより早く片付くかもしれない。
 そんなことを思ったとき。
 聲が聞こえてきた。
 途端に、三蔵の眉間に皺が寄る。
 耳に聞こえてくる声ではない。この聲は――。
 カタンと椅子を引いて立ち上がるのと、悟空が執務室に飛び込んでくるのとはほぼ同時だった。
 まっすぐに三蔵を目指して、飛びついてくる。
 その他のものは何も目に入っていないかのように。
「……怖い」
 震えて、しがみついてくる。ぎゅっと法衣が握られる。
「白いの……やだ、怖い」
 その言葉にふと窓の外を見ると、雪が降り始めていた。
 雪。
 はらはらと舞い落ちてくる、白い雪。
 これを怖いと言っているのだろうか。
 なんでこんなものが、と疑問に思っていると。
「さんぞ……」
 小さく、小さく――。
 まるで『それ』しか持っていないかのように、呼びかけられた。
 反射的に、視線を下に落とす。
 大地色の柔らかそうな髪と震える華奢な肩が目に入った。
 そのときの気持ちを、なんと言い表せばいいのだろうか。
 この子供の中には、本当に、自分しかいないのだと知ったときの気持ちを。
 それ以来、雪の日には、悟空は執務室の出入りが自由になった。
 邪魔にはならない。
 咎めるように進言してくる僧たちを、そう言って黙らせて。
 優しすぎる。
 そう言った僧もいたが、それは違う。
 三蔵は、何一つ、優しい言葉を悟空にかけたことはない。
 自分の力で克服しなければ、何もならないと思っていたから。
 だが、それは事実ではないかもしれない。
 ただ一人、自分に縋りついてくる姿が。
 それが見たいだけなのかもしれない――。