10:涙


街を歩いていた悟空は、なにとはなしに吸い寄せられるように一角に目を向けた。
「どうした、悟空?」
急に足を止めた悟空に、隣を歩いていた李厘が不思議そうな顔をして問いかける。
「あ、うん……」
珍しくも歯切れの悪い返事に、ますます不思議そうな顔をして李厘は悟空の視線を辿る。
「お兄さん?」
李厘の疑問形な口調に、悟空はふと我に返った。
中学にあがってから、友人を家に招くことをほとんどしなくなった。
だから、そこから先で友達になった子たちは、悟空にお兄さんがいるというのは知っていても、ちゃんと顔を見たことがないといってよかった。
それに悟空と三蔵はまったく似ていないので、なにも知らなければ両方と会ったことがあっても、兄弟だと思う人間はいないだろう。
だが、李厘には『モデルの金蝉に似ている』と言ってあった。
「そう」
悟空は短く答え、それからなにごともなかったかのように歩き出す。
「いいのか?」
挨拶もなしに通り過ぎようとしているのがわかったのか、李厘が問いかけてくる。
「別に」
兄弟とすれ違うからといってわざわざ声をかけることをしないのは、とくに不自然なことではないだろう。
素っ気なく答え、視線を外して悟空は行こうとするが。
「悟空くん、よね?」
突然、パタパタという軽い足音がしたかと思うと声をかけられた。
見ると、綺麗な女性がにっこりと笑いかけてきていた。
見知らぬ女性だ。
だが、腕を絡ませているのは――。
「覚えてない? でも、無理もないかしら。一度しか会ってないものね。私が留学する直前だから……5年くらい前かしら。お家に訪ねていったことがあるんだけど」
言われて、悟空はあっと思い出す。
そのくらい前に、それまで家に人を呼んだことのない三蔵が女の子を連れてきたことがあった。
彼女ができたのか、と両親が大騒ぎしていた。
が、それ一度きりで、あとはなにもなかったから、すっかり忘れていたのだが。
「あのときはまだ小さくて可愛い小学生だったのに。もう彼女ができる歳になったのね。私も年を取るはずだわ」
「バカらしい」
わざとらしく溜息をつく女性に、眉間に皺を刻んだ三蔵がいう。
不機嫌そうだが、八戒や悟浄と同じで、この女性は本当に嫌な相手ではないらしい。
無理やり引っ張られてやってきた風だが、まだ腕を組んだままで振り解こうとはしていない。
「えと……映画、始まっちゃうから」
悟空は少し困ったような笑みを見せて言う。
「あ、ごめんなさい。デートの邪魔して。またお家に伺わせてもらうわね」
ひらひらと手を振る女性に会釈して、悟空はその場を離れる。
そして、どのくらい雑踏のなかを歩いたのか、わからない。
「悟空っ」
突然、肩を掴まれて後ろに引っ張られた。
目の前を車が通り過ぎて行く。
交差点で、横断歩道の信号が青から赤に変わったところだとわかった。
「なにやってるんだよ、もう」
李厘の声が遠くから聞こえた。
「悟空?」
覗き込まれるように見られるのを、悟空は慌てて顔を逸らして阻止する。
と、目の前にハンカチが差し出された。
そっと横を窺ってみると、李厘がそっぽを向いてハンカチを差し出していた。
「……ありがと」
小さく呟いて、悟空はハンカチを受け取った。