24:伝えたい気持ち


ひどく怒ったような声が響いた。
その声に、はっ、と悟空は目を開けた。
突然の覚醒。
一瞬、自分がどこにいるかわからない。
が、見慣れた周囲の様子に、すぐに三蔵の部屋だということがわかった。
怒声はまだ聞こえてくる。階下でのことのようで、なにを言っているのかまではわからない。
なにをそんなに怒っているのだろう、と悟空は身を起こしかけ――ズキン、と体が痛んで固まった。
それでなにもかも思い出す。
というか、いままで忘れていた方が不思議なくらいだ。
――昨日のこと。
が、思い返す暇もなく、突然、荒い足音が響いたかと思うと、バタン、と扉が開いた。
「さ……」
三蔵。
そう言おうとした言葉が途中で切れる。
三蔵はひどく怒った顔をしていた。瞳が凍りつくように冷たい。
そんな瞳に見つめられ、悟空の胸に氷塊が生じる。
怒っているのは、悟空に対してなのだとわかる。
なぜここにいる。
そんな言葉が耳に聞こえてきた。
「……ごめ……ん、な……さい」
悟空は震える声でそう言い、ベッドから降りようとして、近くに服がないのに気づいた。シーツを手繰り寄せて纏うと、痛む体をおして戸口にと向かう。
もっと早くに――三蔵が目を覚ます前にここを立ち去るべきだったのだ、といまさらながらに思う。
「すぐ……消える」
三蔵と目を合わせないよう俯いたままで横を通り過ぎようとした。
が。
「ふざけるな」
腕を掴まれた。噛みしめた歯の間から絞り出すような声。ギリッと掴まれた腕に力が入る。
「消えるというのは、パリに行って、もう二度と帰ってこないということか」
「な……んで……?」
三蔵の言葉に掴まれた腕の痛みも忘れ、悟空は驚きの表情を浮かべる。
「さっき、金蝉から連絡があった。いま、パリだと。いろいろが落ち着いたらお前を連れて行くと」
「金蝉が……」
ふっと悟空の視線が下に落ちた。
「うん。そう。俺、パリに行くから。だから、三蔵はなにも気にしなくていい。全部、忘れればいい。――なにもかも」
沈黙が降りた。
三蔵がどんな表情を浮かべているのか。
怒りか蔑みか。
怖くて悟空は顔をあげることはできなかった。
「お前も忘れるのか」
どのくらい沈黙のなかにいたのか。突然、静かな、冷たい声が響いた。
――忘れる。
その声に触れて、胸の氷塊が大きくなる。
昨日の出来事は嵐のようだった。すべてが壊されてしまう、そんな気がした。
だけど、そのなかでも包まれるような温かさと優しさを感じていたから。
だから怖くはなかった。
でも――。
それはただの勘違いだったのだ。そうであればいいと望んで、だからそんな風に感じていただけ。
本当は――。
「……悟空?」
溢れ出す涙を留める術は知らなかった。ただ嗚咽だけは堪える。
忘れなければならないだろう。
あれは自分勝手に作り上げた幻だったのだから。
掴まれた腕を振り払い、悟空は無言のまま部屋を出て行こうとする。
だが――。
「いったい、なんだって言うんだ」
声とともに、抱きしめられた。
「なぜ泣く? なんで離れて行こうとする? 俺は……。お前の考えていることならなんでもわかるつもりでいた。だが、いまは……」
途方に暮れたような声に、悟空は顔をあげた。
そこにあったのは、声と同じ表情だった。怒りでも蔑みでも、さきほどまでの冷たい表情でもなく。
それを見て、ただ三蔵も混乱していただけなのだと、わかった。
なにも言わずにいたのは自分の方だから――。
不意にそれに気づいた。
伝えるべきだと思った。最初に、伝えておくべきだったのだ。
悟空を大きく息を吸った。
「好き、なんだ。三蔵が。家族とか、そういうんじゃなくて――。ただ、好きなんだ」
だから流れる涙はそのままに、三蔵をまっすぐに見つめて悟空は静かに告げた。