27:言葉


柔らかく抱きしめられて、ゆっくりとあやすように頭を撫でられて。
そんな風に甘やかされるのは、すごく心地良い。
……けど。
悟空は顔をあげた。
すぐ近くに綺麗な顔。物心ついたときからそばにいて、いい加減、見飽きても良いのでは思うくらいにたくさん見ているのに、いつまでたっても『綺麗』と思える顔。
こんな近くまで近づけるのは、自分しかいない。
昔も。
そしてこれからも――。
そう思うと、優越感にも似た感情が起こる――けど、やっぱり。
さっきまで、望むべくもないと信じていたのに、そうではないとわかった途端、どうしてこんなにも我儘に、貪欲になれるのだろう。
自分でも呆れてしまう。
だけど。
「さんぞ」
名前を呼んで強請るように見つめていると、ゆっくりと唇が降りてきて、望んだところに――唇に軽く触れられる。
悟空はふわりと笑うと、三蔵の胸に顔を埋めた。
三蔵はいろいろなことをいつも言葉に出しては言ってくれない。でも、態度では示してくれるから――。
すりすりと懐くようにしていたら。
「……名前」
ぽつりとした呟きが頭のうえからした。
「え?」
顔をあげると、少し考え込むような表情が見えた。
「いや、いつから名前で呼ぶようになったのか、と思って、な」
あ……と、悟空は思う。
ふと過去にと意識が引っ張られた。
両親が亡くなるまでは、普通に『お兄ちゃん』と呼んでいた。
だけど、両親が亡くなった直後、まったく会ったこともない親戚に強引に家から連れ出されそうになったことがあった。悟空を引き取ることで遺産管理の権利を得ようとしたのだろう。
わけがわからないまま、だが本能的に恐怖を感じ、『三蔵っ』と半ば悲鳴のように悟空は三蔵を呼んだ――。
そのときの恐怖を思い出して身を固くしたのがわかったのか、ぽんぽんと優しく三蔵に背中を叩かれた。それで、今に――現実に戻ってくる。
「前に、三蔵、って呼んだらすぐに来てくれた。あの時――。知らない親戚に連れてかれそうになった時」
それだけで通じたようで、少し息を呑む気配がした。大丈夫だ、というようにぎゅっと抱きしめられた。
「だから『三蔵』って呼ぶの、お守りみたいな感じで――それで……」
いつでも助けてくれる――そう思ってのこと、というのは事実。
だけど、本当は『三蔵』と呼ぶたびに、ふわふわとした感じがして嬉しかったから。
この気持ちは、ずっと自分のなかにあったと思う。でも意識したのはあのときが最初だった。
そして自分の気持ちを自覚してから『お兄ちゃん』という言葉は少し苦いものになった。
『お兄ちゃん』は『お兄ちゃん』でずっと『お兄ちゃん』でしかないから。
それはとても近い関係だけど、でも、それ以上にはなれないから――。
「それに……。お兄ちゃん……、嫌だ……って言わなかった、し」
でも、もうそう呼ぶしかないんだと思っていたつい先ほどまでのことを思い出し、悟空は顔を俯ける。
「別に『お兄ちゃん』と呼べ、と言ってるわけじゃねぇよ」
と、その額にキスが落とされた。
「……うん」
「ちょっと不思議に思っただけで――。そうだな。『お兄ちゃん』より『三蔵』のがいい」
「うん」
ぎゅっと悟空は三蔵に抱きつく。
ちゃんとそう呼ぶことを許してくれた――。
なんだかほっとする。
ほっとして――。
「さん、ぞ……」
安心したせいか、突然、睡魔が襲ってくる。
でもこれを夢で終わらせてたくなくて――眠ってしまったら、もとに戻ってしまうのではないかと、そんな埒もないことを考えて悟空は三蔵にしがみつく。
「大丈夫だ。少し寝ろ。目が覚めてもなにもなくなりはしねぇから」
そんな悟空の感情がわかってしまうのか、優しい声がしてそっと寝台に寝かされた。
ゆっくりと頭を撫でられる。
それはとても心地よくて。
悟空はほっと息をつくと、まどろみのなかに落ちていった。