36:雪


ふと窓の外を見ると雪が舞っていた。
三蔵は資料を整理していた手を止めて、窓のそばに行く。
音がしなかったので気がつかなかったが、結構、しっかりと降っていて、次から次へと舞い落ちる雪が重なって、地面がうっすらと白くなっていた。
この冬初めての雪だ。
後から後から降ってくる雪を眺めているうちに、すごく小さい頃、悟空が雪を怖がっていたことを、どういうわけか思い出した。
外で遊びまわるのが大好きな子供だったのに、雪の降る日に外に出るのを嫌がった。
本当に小さな頃――物心がついてすぐくらいの頃のことではないだろうか。
あとにも先にもその冬だけのことで、あとはまったく平気で雪のなかを飛び回るようになったからすっかり忘れていた。
あれは――なんだったのだろう。
だいたい三蔵の知る限り、雪を嫌いになるようなことが悟空の身に起こったはずはない。
生まれた頃からずっと一緒で、特に小さな頃は四六時中三蔵の後をついて回っていたから、知らないところでなにかあったとも思えない。
なのに、小さい体をさらに小さくするように丸まって、雪から目を背けていた。
――怖い、と言っていた。
怖いと思う要素など、どこにもないはずなのに。
理由は悟空にもわからないようだった。
ただ、ただ『怖い』と繰り返し、震えていた。
だれにも助けをもとめることもなく、両親や三蔵がそばに寄ろうとしても逃げ出して、ひとりで小さく丸まって。
この世にただひとりだけ――。
そんな様子になんだか溜らないような気持ちになって、ある日、逃げようとするのを追いかけて、ぎゅっと抱きしめてやった。
すると悟空はびっくりしたような顔をし、それから顔をあげて不思議そうに三蔵の方を見た。
大きく見開いた金色の目と目が合った時、雪の降っている間、ずっとだれとも目を合わせることがなかったのだということに気がついた。
金色の目がみるみる潤み出し、そしてようやく三蔵に縋りつくようにして泣き出し――。
あぁ、それからか、と思う。
さきほど、いつから雪が大丈夫になったのか――と思ったのだが、それからだ。
それから普通の、子供がよくするように、雪になるとはしゃぎまわって外に出るようになったのだ。
しかし、どうしてそんなことを急に思い出したのだろう。
三蔵は眉根を寄せた。
なんだか胸騒ぎがしていた。
なにか――よくわからないことが起こっているような――?
ひとり小さく丸まっていた悟空を見ていた時のような、漠然とした不安の気持ち――。
「玄奘君」
と、声がかかった。
「あ、すみません。教授」
思いのほか、自分の思考に浸っていたようだ。三蔵は慌てて資料の整理を再開させようとする。
「いや、それはもうそこまででいいよ。なんだか天気がこれからだんだん悪くなるみたいだから、今日はもう終わりにしよう。帰れなくなるとたいへんだからね」
確かに、あれからそんなにたっていないはずなのに、窓の外はもう真っ白になっていた。
三蔵の通う大学は郊外にあるので、都会の真ん中よりも寒い。
雪がこのまま降り積もれば、交通機関にも影響が出るだろう。
「わかりました」
「戸締りをしていくから先に帰りなさい」
「はい。では、お先に失礼します」
手早く自分の荷物をまとめると三蔵は部屋を出る。
駅にむかうバスのなかで。
――悟空。
なぜか小さく丸まった悟空の姿が――小さな頃の覚えている姿ではなく、いまの悟空が小さく丸まった姿が目の前をちらついて。
――悟空。
早く帰らねば――とそんなことを一心に思った。