37:子供


「ここか?」
暗闇にのなか、不意に声がした。
大きくはないがよく通る――女性の声。
――お母さん?
懐かしい――母の声のように聞こえた。
そんなはずはない、と思いつつ、悟空は周囲を見回す。
と。
ほんの少し闇が晴れ、こちらを覗きこんでいる顔が見えた。
――お母さん。
びっくりして、固まる。
それは間違いなく、本当に母だった。
なんで、どうして――?
混乱してくる。
と。
「特になんでもないようだが――」
手が伸びてきた。
触れられる――と思ったとき、ピシッと空気が揺れた。
――イタッ。
まるで静電気が起きたかのような痛みを感じる。
そして。
――だれ?
声がした。
今度のは―――自分の声。
自分の声、だ。
ますます混乱してくる。
自分は声を発していないのに。だが、自分の――声が―――――?
母は相変わらずじっとこちらを見つめている。屈むようにして、まるでなにかを捜すかのように。
「どうやら違うようだな」
やがてほっと一息をついて、背を伸ばす。それから、くるりと踵を返して立ち去っていく。
――待って!
悟空が――いまの悟空ではない悟空が声をあげる。
一歩退いて、後ろで見守っているような――そんな感覚。
――待って! 俺が見えるのなら、連れてって!
母の歩みが止まった。
「悪いが……お前のことがよくわからないのに、解き放つことはできない。いくら子供の姿をしていて、無害そうとはいえ、な」
――やだ。もうひとりはやだ。連れてって!
手を伸ばす。
だが、母はもう振り返ることはなく、歩み去っていく。
――待って!
もう一度声をあげるが、母の足が止まることはない。
嫌だ。行かないで――そんな想いが強くなったとき。
――待て。
また違う声がした。
違う――というか、正確には違ってはいない。同じ悟空の声だ。
だが、今度のは、もっと――なんというか、冷たい感じの声。
そして。
辺りが急速に暗くなっていく。いや。暗い――というか、なにか――瘴気のようなものがたちこめていく。
禍々しく、荒々しい気配。
――我の眠りを妨げておいて、ただで済むと思っているのか、女よ。
母の足が止まった。振り返る。
――ちょうど良い。
クスリ、と声の主が笑う。
――お前ならば、新しい生命として我を産み出すことができるだろう。連れて帰るが良い。
ザッと闇が動いた。
母の方に襲いかかる。
――お母さんっ!!
悟空が――いまの悟空が絶叫する。
が。
パシン、と軽い衝撃があった。
本当に軽く、小突かれた程度のものだったのだが――母に襲いかかろうとした影はその手前で止められていて、そこから先には進めないようだ。
――おのれ。
黒い瘴気が一段と濃く、渦巻いていく。
――おのれ!
いままでとは段違いの、吹き出すような黒い瘴気が母に襲いかかっていく。
――駄目っ!!
声の限り叫ぶ。
そして――。
なにもわからなくなった。