遠い日の記憶


夜が明けるまで繁華街で適当に時間を潰し。
動き出した電車に適当に乗って、適当に乗り継いで、適当に降りた街で適当に宿をとって。
遠足気分ではしゃぎ疲れて、早々に眠ってしまった悟空の頭を軽く撫でてやりながら、三蔵は煙草の煙を溜息のように吐き出した。

この子供を拾ったのはいつの話だったか。
そんなに前ではないはずなのに、遠い日の記憶のように思える。

それはよくある仕事のひとつだった。

建物に忍び込み、必要な情報だけ貰って帰るだけだったのに、なんの関係もない部屋の扉を開けてしまった。
本来なら、なるべく痕跡を残さないよう、関係のないものに手を出すようなことはしない。

なのに、なぜだろう。
呼ばれているような、そんな気になった。

その部屋にいたのが悟空だった。

鎖で繋がれて、遥か上にただひとつある窓を見上げていた。
近づいて行くと、人の気配にようやく三蔵の方を振り向いた。
ガラスのような瞳。
だが三蔵の姿を認めた途端、少しだけ戸惑いの色を浮かべ、少しだけ光が宿った。
綺麗な色だ、と思った。

鎖を外してやったのは、みつけてしまったのだからしょうがない、というだけで他意があったわけではない。
悟空は不思議そうな表情で手首をさするが、その場から動こうとはしなかった。
ので、手を差し伸べてやる。
と、大きく目が見開かれ、今度こそ本当にその目に三蔵の姿を映した。
無言で手を差し伸べたままでいると、おずおずと悟空の手があがった。
そっと手が重なり、そして。

「っ!」

声にはならない叫び声とともに、いきなり悟空が抱きついてきた。
驚いたが、受け止めてやり。
そして、いつもの自分なら絶対にしないだろうに、軽く悟空の頭を撫でてやった。

聞こえたような気がした聲は、この子供の聲だと思った。

そして、震えるわけでも泣くわけでもなく、ただしがみついている悟空を促して建物を出た。

そうやって助け出してはみたものの、その後もこうして面倒をみるつもりはなかった。
身代金目当てに誘拐されてきた子供かと思った。珍しい外見なのですぐに身元はわかると思った。
親元に返せばいい。
単純にそう思っていたのだが。
まったく悟空の身元はわからなかった。
本人も『悟空』という名前以外はなにも覚えていないという。
厄介な拾いものをしたな、と思った。
それでもしかるべき施設に預けるという手があったのだが。
結局、こうして手元に置き、いつの間にか――。

「さん……ぞ」

幸せそうな寝言とともに、身を擦り寄せてくる悟空に、三蔵は微かに苦笑をもらす。
それは、悟空に対してか、己に対してか。
ふぅ、ともう一度、三蔵は煙草の煙を吐き出した。