夜の気配


うっかり昆布がなかったのを忘れていたんですとか、大勢の方が楽しいとか、よく考えるとわけのわからない理由で、結局、悟浄宅で四人は鍋を囲むことになった。

あらかた食べ終わったあとで煙草を出した三蔵に、八戒がにっこりと笑って『吸うなら外でお願いします』といった。
口調は優しげだが有無を言わさぬ笑顔に、悟浄とふたり、居間から外に通じる窓から庭に追いやられた三蔵が、ふたたび部屋に戻ってみると。

「すみません。残っていたワイン、いつの間にか飲んでしまったようで」

悟空がソファで寝こけていた。
八戒が毛布を広げ、その上にかけてやる。
と寝たまま、にへらと幸せそうな顔で悟空が笑った。

この家に入るときは、警戒するように三蔵のそばにぴったりと張りついて離れなかったのに。
どうやら美味しい食事に懐柔されたらしい。
なにより、ふたりの態度から本当に危害を加える気がないのを感じとったのも、大きかったのだろうが。

「お腹いっぱいになったら、おねむ? ホント、仔猫ちゃんみたいなコだな」
「そんな可愛いモンじゃねぇよ。どっちかてぇと、猿だ」

溜息をつくように三蔵が言う。

「小猿ちゃん? それも可愛いけどな」

クスリと笑いながら、悟浄がサイドボードから酒瓶とグラスを取り出してローテーブルに置くと、タイミングよく八戒が氷と水を持ってきた。
それは水が流れるように自然で、あらためてこのふたりの息の合い方を思わせる。

「で?」

直接床にクッションを敷いて座った悟浄が、グラスを差し出しながら言う。

「で、とは?」

受け取って、三蔵も悟空の寝ているソファの前の床に座る。

「とぼけんなよ。このコの件で聞きたいことがあるんだろ?」
「あぁ、この間の件か」

軽くグラスを揺すり一口飲んで。

「別になにもねぇよ。お前らはお前らの仕事をしようとしただけだろう」

三蔵はこともなげに言う。

「あ? 依頼人がだれかとか目的とか気にならねぇのか?」
「まだちょっかいだしてくるつもりなら、そのうちわかる。それとも教えてくれるというのか?」

三蔵の言葉に悟浄は眉を顰める。
依頼人の秘密は厳守。
こういった仕事をするうえで、まずは守らねばならぬ最低限のことだ。

「じゃ、なんで誘いに乗ったんだ?」
「別に。強いていえば猿が懐いていたから、な」
「懐いてた?」

悟浄が疑わしげな声をあげる。
どちらかというと警戒されていた、という方が近いのではないだろうか。

「こんなんでも意外と聡い。本当に下心があるやつが相手なら、姿を見た途端に逃げ出す」

三蔵は後ろのソファで寝こけている悟空を振り返る。

と、開けっ放しだった窓から入ってきた夜風が冷たかったのか、悟空が小さくくしゃみをした。

「おやおや」

席を立って、八戒が窓を閉めに行く。
が。

「さんぞぉ」

目を擦りつつ悟空が起き上がってきて、ぽふっと三蔵に抱きついた。
まだ半分寝ぼているようで、ソファから落ちかけるような体勢で三蔵にしがみつくと、そのまま目を閉じる。

「ったく、なにがしてぇんだ」

呆れたような口調だが、グラスをローテーブルに置いて改めて悟空を抱き上げると、三蔵は立ち上がった。

「世話になった」
「あ、ちょっと待ってください」

八戒が一度キッチンにと姿を消す。

「これ、デザートです。あとで出そうと思っていたんですけど、悟空、寝ちゃったんで」

それから手にした袋を三蔵に手渡した。
悟浄も八戒も玄関先まで、ふたりを見送りに出てくる。
それはまるで旧知の仲のようで。
少しだけ妙な気分を味わいつつ、三蔵は悟空を抱いて夜のなかにと足を踏み出した。